日記

日記です

20220403

 今日はずっとベッドの上でグウタラしていた。1時間ちょいプログラミングをしたくらいで、他はなんもとらん。外出も一切していない。ゲームもしていない。なんだったんだ。

 暇って感じ。なにしようかねー。SLAMもやりたいというか、やらなきゃいけないわけなんだけど、そればっかという気分でもないな。意外と計算資源を有効活用できていない。こんなはずでは……。

 モチベーションの制御なんて、そんなことが簡単にできれば誰も苦労するはずもなく。なんにもできないときは「なんにもできないなぁ」と思いながら過ごしていくしかないんだけど。


 (同率1位というものは無いとして)2人以上の人が「1位になりたい」と思ったら、どうしてもそれが叶わない人が出てきてしまう。望みが叶わないことが即不幸かと言われれば迷うところだけど、でも安易に「1位を目指した過程にこそ意味がある」で片付けられるものでもないだろうとは思う。

 結局、みんなそれぞれ区切られた個別の世界でやりたいようにやるのが一番なんじゃないか。僕はApexでプレデターになることはできないけど、エルデンリングで王になることはできる。人類が皆分断されて固有の世界で望むように生きていく状態は、一つの良い終着点だと思うし目指すべきものだとも思っている。

 でもそれも本当なのかな。ゲームの世界で相手に何をしても良いということと、現実世界で相手に何をしても良いということと、その間にどれだけの違いがあるのか。自分以外の意識なんて感じたこともないのにどうしてそれを尊重するのか。それを大事にする理由がつけられるなら、ゲーム内のキャラクターもいずれ全く同じ理由で尊重されることにならないのか。

 ゲームが完全でなければ現実と違うものだとわかってしまって満足ができず、ゲームが現実を限り無く忠実に模倣するならば現実と同様に慎重な手付きで扱わなければならない。結局そういうことになってしまったりはしないのか。

 現実だってね、本質的になにか「してはいけないこと」があるわけでもない。どれだけ他人に害をなし迷惑をかけ不快にさせようが、物理的にできないのでないのならばする自由はある。とも思ったが、物理的にできないことと、倫理的な枷の影響で「やろうと思えないこと」との間にもどういう差があるものか。

 有形無形の力が我々を抑えつけているし、形作っているとも言える。わからない、このあたりのことが全然わからない。