今日はパソコンの前に座ったのが10:19。昨日より1時間以上も早い、やったね! 馬鹿か。
出ないやる気を振り絞って2時間弱向き合った結果、なんとか論文の改稿作業に目処は立ったのかなと思わないでもない。
読書
- 発売日: 2019/12/04
- メディア: Kindle版
メフィスト評論賞受賞作である『ガウス平面の殺人 ――虚構本格ミステリと後期クイーン的問題――』を目当てに以前買っていたのでそれについて感想を。
期待通りすごく良かった。やっぱり虚構本格と名付けられたミステリ群がなにかしら読者の世界観の変化に呼応して立ち現れたという感覚が強く自覚されたし、清涼院流水、西尾維新、城平京、井上真偽あたりを並べて統一的な視点から眺めようとするのは非常に僕の好みとも近い。(城平京以外はそんなに強いファンというわけでもないけど、今回挙げられていた作品の『コズミック』『クビキリサイクル』『その可能性はすでに考えた』あたりは読んだことはあってどれも面白かったとは思うので。)
虚構存在に虚構存在としての自覚が生まれるというのは、やっぱり現代人も部分的にはそういう感覚を持っているということなんだろう。もちろん自らを虚構存在だと認識しているわけでもなく、被創造物という意味では神の想定ができる世界観の方が適しているんだろうけど、そういう確固たるものに対する信頼はなくなって無意味的存在という印象はある。絶対的な外部からの確証を得られない中でなにを信じて立つの? という疑問自体が。
僕は僕の好きなものについて考えたいんだけど、どうにも頭が悪いので自分では届かないところがある。この評論だって完全な解答ではあり得ないけど、すごく大きなヒントの一つだと思うし、やっぱりそういうのは外部から教わらないとわからない。
どこかでちゃんと学ぶタイミングを作りたいとは思うが、まずはお金を貯めてからじゃないとダメだろうし、しかし僕は現状無職まっしぐらなわけで。
最後の方で
いやま虚構本格ミステリを本格ミステリでないと切り捨てるのは、スマートフォンを捨て自然主義的社会に回帰する意志に近い。むろんそれもひとつの世界観であろうが、少なくとも私はこの、社会の変化に敏感に反応しながらなおも謎と論理に憑かれ煩悶し続ける彼らの姿を同士と感じこそすれ切り捨てる事などできそうにないし、彼らが本格ミステリの可能性を如何に切り拓いてくれるものか、この目でその行く末を見届けたいと切に願う。
とあるのが感傷的にも良かった点で、なんとか、下手な慰めの言葉とかじゃなくてこういう時代性に基づいた言説そのものが生きる希望になってくれたりもするんだよなと思ったりした。
夜の散歩
はてなの記事のURLを載っけると通知が飛んでしまうと認識しているので直接は貼らないけど、昼間読んだ『VOCALOID-リリックをめぐって』というブログ記事も気合いが入っていて良いものだったなと思い返したり。今日は気分が評論の日という感じだった。
作業が捗っている感じもなく、なんだか結局YouTube観たりゲームしてた時間を本とかブログとか読む時間に転化させているだけのような気はしているが、気の合う文章に巡り会えて気分が楽になったのでそれはそれで。
やっぱり本を読む時間を最低限は確保しないとなーとは思う。