日記

日記です

20201221

 憂鬱だ。とにかくひどく憂鬱だ。朝起き上がるのがしんどい。朝食などいろいろ日々の雑事を終えてパソコンの前に座ったときには11時30分になっていた。その後もとにかくやらねば進まないということでパソコンの前に座ってはいるが、固まっているだけで時間が過ぎていく。

 娯楽に逃げていてもその後が辛くなる。それが嫌なので論文書きに集中しなければならない。とりあえずYouTubeとか諸々最近見ているサイトのドメインをBAN指定して見れないようにしてみたが……。

 論文を書くことはつらいが、修士号は得たい。それは単に自分にメリットがあるというよりもやはり世界の公平さに関わることだと思う。前も書いたことだけど、自分の同期などが全員修士号取れないという基準で運用されているんだったら自分も含め不合格でさっぱり構わない。でもこういう中で僕だけが取れないという状況はおかしい話だ。おかしい話は一つでも少なくするべきだ。なのでどれだけ嫌でも論文は書かなければならないのだ。


 この時期になると帰省するか否かといった問題が生じてきて面倒くさい。伝染病の状況がどれほど切羽詰まっているのか、2時間程度の電車による移動にどの程度リスクがあるのか、その後の感染可能性はどうなのか。どれをとってもさっぱりわからない。

 そういう事情は抜きにしたとしても、僕の心情としては、どちらかというとあまり帰りたくはない感じではある。実家よりも一人の方が気が楽だ。まぁこれが、そこそこ薄情なものであることは理解している。

 僕には「自分の子供が欲しい」という欲求がさっぱりないわけだけど、これはまさに僕自身が親不孝者だからだという面があるだろう(もちろんメインの理由は反出生的な思想の部分が大きいとは思うが)。自分の親より良い育児ができるとは思えないし、たとえ親くらい上手くやれてもできる子供が自分みたいなのだとすれば、子供を単に自分のおもちゃとして捉えるのだとしてもメリットが小さすぎる。


 死に対して、なにか少しでも良いイメージを持っておかないとやってられないよなという感覚はある。しかしそうは言っても僕にとって死はもっと徹底的な無でないといけないのだけど。

夜の散歩

 論文の修正案を考えなければと思いながら外には出たものの何も良いアイデアは浮かばない。

 昨日まで毎日数時間取っていた趣味(とは言えない現実逃避かもしれないが)を急になくしても、なんだかんだ生活できてしまうことが嫌だ。それは大事なものではなかったのか。