パソコンをちらちら見ながらApexをしていた。
僕は言葉で語るよりも行動で示す方が好きなタイプだとは思うんだけど、行動といっても様々な種類があるわけで、その中では語ることが好きだという転倒がある。つまりAという意味内容を示したいときに「A!」と発言するのではなくて「B!」ということで間接的に示したい。
この文章自体がある種の「B!」であるわけなんだけど、ここで示したいAを僕自身だって完全に把握しているわけではないという問題がある。意図と発話とは完全に結びつかないし、逆に完全に関係を切れるわけでもなくて、そういうところに不思議さを感じている。
まぁ本来言及していておかしくないことに言及してないことは、どうしても何かしらの意味を発してしまう、くらいの丸め方でどうか。
プロジェクトセカイ
イベントストーリーを読んだけど、うーん、やはりMORE MORE JUMP!の話があんまり好きになれないっぽいぞ。このリアリティラインでやってくるならそういうところが問題になってくるのも当然だし、結成する前からそのことについて思うところはなかったのか、という気持ちになる。どうもキャラクターが軽はずみに動いているようにしか見えない。高校生らしいと言えばそうなのかもしれないけど、それが見ていて愉快かというと……。
まぁこの批判は他のユニットに対してもそこそこ当てはまりそうではあるんだけどな。自分が何を気にしているのかいまいち上手く掴みきれていない感覚がある。リアリティラインという言葉も、正直使っていてあまりしっくり来ているわけではない。
一つ気になるのはやっぱりアイドルというものが根本的に大きな舞台を前提にしていそうなところだったのかな。Leo/needとかはかなり自分らが一緒に音楽をやるというところで内向きの満足感がありそう(いずれどこかではステージに立つんだろうけど)なのに対して、多くの観客を前にしないといけなくなると一気に現実的な制約が多くなってしまう。そういうところがな、やっぱ気になる。(この辺はワンダショについても少し気にかかるところではある。結果に他人依存のところが出てきてしまうのが、僕自身の観点からすると好ましくない)
好きになれないユニットがあるのはゲームをやっていく上で得にならないのでなんとかしたいんだけど。
その他
今日もコンテストが終わってから30分ほど散歩してきた。駅前を歩いていて人の集団が目に入るのはつらく、なんだかとても悲しい気持ちになってしまう。物理的に眩しい感覚があるのはきっと錯覚なのだろう。大学に毎日通っていた頃は毎日これを横目に見ながら帰宅していたわけで、それはまた強靭な話だなと思った。
当然のことが起こるべくして起こっている。