日記

日記です

20190731

夢日記

 今日もなにか夢を見たはずだけどすぐメモしなかったので忘れてしまった。0と1からなる記号列のエントロピーが魔法の呪文の効果と相関するという感じの内容だった気がする。

 定期的に夢日記を付けようという気分にはなるのだけど、起きてすぐメモできる環境を準備するのが面倒だというのと、結局寝ている間に見てるんじゃなくて起き間際に全部考え出しただけだなという気分になってしまうので飽きてしまうのだった。しかし夢日記をつけた方が夢を見やすくなる気はするし、夢の内容自体はわりに面白いことが多いので飽きつつやりつつといった感じ。

 多分一番よく見る夢は中学校のときの部活をやっているもので、やー意外と僕はあの球技を続けていたかったのかなと思わないでもないけどまぁ実践的には無理だったので仕方ないなという感じであまり後悔はない。

小説

バイバイ、エンジェル (創元推理文庫)

バイバイ、エンジェル (創元推理文庫)

感想  良かった。笠井潔は始めてだったけど、ミステリ的なツイストとテーマが密結合している作品(もっと言えばミステリを手段として扱っている作品)はやはり好きだ。ただ1979年という古い作品だけあって、ここで扱われている問題意識を革命と闘争の正否として捉えると現代的な問題意識(というか僕の問題意識)とはややズレがあるかもしれない。あるいは動物的に生きることと観念的に生きることの対比として捉えることで普遍的なテーマにはなると思うのだけど、同じ流れで捉えて良いものかどうか。しかし思想的に皆殺しではなく少数は生き残りを作るのか、そこだけは気になってしまった。

 解説がかなり的確だったように感じた。

笠井潔にとって、推理小説はいわば死者の意味をめぐる闘いなのだ。(中略)犯人は自分の作り出した屍体にけばけばしい人工の意味を押しつけ、探偵はそれを解読し、解体し、別の意味を与えることで悪魔を祓う。この仕組み、つまりパズル性を徹底して駆使しながら、探偵と犯人とのいつ果てるともない「意味の闘い」そのものをいつか破綻に追い込む瞬間を、笠井は予感し続けているのだろう。

 推理小説は目的論的世界観、観念や理性至上主義と相性が良い。しかし大戦それ自体もそうしたものの結実として生まれたものなのではなかったのか。目的論的行為が無意味な死体の山を生んでそこからさらに個別の目的回復が行われるという流れはどこかねじれを持っているような気もする。たぶん上手く読解できていないところが多い。いずれもう一度読み返すことになりそう。

 それにしても僕はメッセージ性の強い作品が好きと宣言しなければならないのかもしれないな。あまい気分の良い主張ではない気がするが、悪いことだとも確信できていない。

その他

 ここ数日は研究室に居る時間だけ長くてなにも作業は進んでいないといった感じ。有意義なことをやらねばならないという考えに取り憑かれているがやる気は出ない。(有意義なことをしていないと/勉強をしていないと/優秀でないと)人間関係を失うという観念があるのだが、失うような人間関係もないので今そんなことを考えているのはわりと頭がおかしくて、頭がおかしい。

 この観念は一応体験に根ざしたものなので単なる思い込みでもないとは思っているけど、心配するべきことが間違っていて、しかも最近は結局ルサンチマン駆動開発を頑張っていこうみたいな方針になっており、いや全然開発やれてないからそういう意味でも方針がダメじゃんということなのだが……。成果最大化として見ても楽しさ最大化として見てもまるきりダメな方針になっていてなにこれ? って感じだな。