日記

日記です

20190517

 帰り道でとても悲しくなってしまった。やはり単純な幸福度どうこうという話ではない気がする。単発的に幸福的な事象が起こっても、それで満足できるのかわからない。人体に害のないドラッグがあったらどうだ? いや、そういうものがあったらそれはそれでなんとかなるのかもしれない。幸福度が十分に高ければそれで良いとは思う。今は十分に高いとは思えない。

 幸福を諦める代わりに高潔を目指すのだという開き直りもまたできやしない。自分と高潔との間に埋めがたい距離があることは生きていればわかる。当然ながら幸福を諦めて成果を目指すということもまたあり得ない。そういう「幸福を差し出すことで別の何かを手に入れている(手に入れようとしている)のだ」という話はさっぱり信じられない。これまで生きてきた人生の記憶がある限りそんなことはできないだろう。

 幸福を得るためにするべき行動があるらしい。行動のリスクとリターンを正常に計算できていないことはわかる。しかし正常な計算方法は知らない場合、間違っていることしかわからないならば間違っていることになんて気づきたくもない。惰性だけで生きている。運だけで生きている。

 単発的な文脈のない幸福的事象としての食。それは食事というより間食に近い。最近本当に視力が落ちているのを感じる。身体がどんどん悪くなっていく。精神と手を取り合って落ちていく。今日も、また少し。