今日は時間でこそ3時間ちょいではあるんだけど重要部分の実装をしたのでわりと良かったのでは。というか3時間ぽっちだったのかという驚きがむしろある。
性格の悪い人と幸福の功利計算
「能力の低いやつは不幸になっても仕方がない」という主張は肯定したくない。そして僕は能力と性格の区別をしたくない(できない)と思っているので、必然的に「性格の悪いやつは不幸になっても仕方ない」という主張も否定することになる。
ただそれを本当に徹底できるのか。この世には僕が想像も及ばないような吐き気を催す邪悪な人間というのも存在するのではないかと思う。そういう人を前にしてそれでもなお「この世で最も性格の悪い人間も幸福になる社会こそが理想」だと言い切れるかどうか。
ちょっと話をかえて、この場合悪というのは周囲の人間へ精神的苦痛を与えるという意味合いを持つと思う。そのような振る舞いを矯正するのにもおそらく精神的苦痛があるのではないかと想像するが、周囲が受けている苦痛と、当人が矯正する際に感じる苦痛を比較して、後者を仕方なく払ってもらうという形なのではないか。ここにはやはり幸福(苦痛)の功利計算があると感じる。
結局どこかで幸福の功利計算が生じる。それは信用できるものなのか、いずれ自分に牙を剥くものではないのか、そういうことが心配になっている。