日記

日記です

20200125

 9時前に研究室着。しかし作業したのは午前中のちょっとだけで、それ以外は小説を読んでいたりした。午後は特にほとんどずっとTwitterを見ていただけ。ドメインブロックを自然な動作で解除してしまうの本当に良くない。

小説

ベーシックインカム

ベーシックインカム

 面白かったけど、なんというか技術の発展がもたらす社会への影響に対して良い方向へ向かうことを祈る気持ちにはなれないし、どちらかというと社会がめちゃくちゃになった方が楽しいという素朴な感情がある。自分が死ぬ前に人類が滅んでほしい。でも宇宙が続くことは納得できるとするとこれはどこかダブルスタンダードな気はしている。

その他

 もっと孤独になって自分について向き合わなければ。どうしてそんなことしなければならないのかは、自分でもよくわからないけど。

 まぁどう生きるつもりなのか、大まかな方針を定めておくことは重要なのではないかと思う。たとえばTwitterから離れられないことについて、それが本当に悪いことなのか、仕方ないと諦めるべきなのかなど。

 Twitterに理想はない気がしている。理想というのは、理想のコミュニケーションという意味でもあり、理想の自分という意味でもある。あとは根本的に救われる手段にはならず、時間つぶしにしかならなそうだと思う。でもまだ「根本的に救われる」ことを望んでいる方がおかしいのかもしれない。そういう期待を捨てていかないといけないというのが最近の方針ではなかったか。そうなれば人生というのは徹底的に暇つぶしなのであって、Twitterをしているというのでも良いだろうが。それはしかし何かの諦めではあるのだ。まだ簡単には諦められない、そうだろ?

 まぁでも、12月終わりから日記を非公開にして、その結果良くなった、理想的な振る舞いに近づけたかというと全くそんなことはない。やっぱり僕には無理なのか、それともやり方が間違っているのか、どちらかはわからないが、今のところ救いに近づいている気はしない。

 救いとはなんだ? 一つには今の価値観における良さを獲得することであり、もう一つには今の価値観を放棄するということである。今の価値観による良さを獲得するには、きっちりと論文が通り、選手権で結果を出し、AtCoderで黄色になるなどのことが必要になる気がする。これは今のところあまり上手くいっているとは言えない。2番目の方法として、本・小説などを読むことによって今の価値観から解放され、そういう競争原理からの逸脱を目指すというものがある。これが成功するかどうかはわからないが、でも少なくともTwitterよりは小説などを読む方が可能性があるとは思っている。

 プログラムを書く気が起きず、本を読む気にもなれないときがあることが問題だ。そういう時間を無駄にしないようにできれば良い。あるいはそういう時間を全く無くしたい。それは理想論なのかなぁ。不可能なことを追い求めているのかもしれない。モチベーションが上がらないという致命的な欠陥。それは結構つらいことなんだよ。やりたいと思っていることと実際に湧き起こるモチベーションの量に差がある。理想と現実とのギャップ。もっと別の捉え方はできないものか。それが自分の幸せなのだろうか。わからない。

 自分という機体がどういうときにどう動くかを把握すること。その機体の性能は変えられないものとして、その中で幸福量を最大化しようとすること。そういうことができれば良いのだが、でも把握がちゃんとできないし、把握できても性質は次々と変わっていくものでもあるし、幸福の基準自体を変化させるという荒業も可能なようだし、そんな中での最適化問題というのを僕は上手く解けていない。いや、それでもなんらかの解を常に出し続けているのが今の自分という結果なのだ。それはわかっている、わかっているがだからなんだよという気分にもなる。

 わからん、とにかくどうすればいいのかがわからない。それを神が与えてくれたら良いのに。