日記

日記です

20191028

 他人の古い日記を読んだりしていた。古い日記を読むのは、自分のも、他人のも好きだ。それは現実から遠ざかったところにある。普段この日記に日常のことを書きすぎているのではないかと思うこともあるが、時間が現実性を奪い去ってくれる。

 僕が日記を書いて公開しているということは、僕に似た人間もきっと同じことをするのだろう。僕らの適切な距離感とはそういうもので、大部分は本当に一切読まれることなく、ほんの一部だけがたまたま読まれたり、全く読まれなかったりする。顔も合わさず、一生存在を認識することもないが、僕と似たようにほどほど幸福で、ほどほど苦しみ、ほどほど虚無感を抱える人がこの世には生きていて、あるいは死んだりしている。そういうことを夢想する。

 それが重大な希望になるわけではないが、痩せ我慢を少し続ける理由にはなるかもしれない。別にそれはやめたって良いものなんだけど。痩せ我慢することが良いことだなんてことはなくて、それは本当にただそうであるだけで、退場する人は退場していて、退場していない人が痩せ我慢しているとみなされるだけで。死が救いなのではなく、生が救いなのでもなく、幸福も不幸も意味なんてなくて、人が存在したり存在しなかったりする。

 本当の意味で親愛の情を抱けるのは、存在を認識していない相手にだけなのではないか。親愛なる存在を認識していない相手へ、僕は僕が一番欲しいものを送りたい。それは完全なる定常状態、世界の死に包まれた死なのである。