コンピュータ将棋のコードをどんどん減らす作業をしていた。もうたくさんの機能を保守していくことはできない。やりたいことのみに焦点を合わせてできるだけコードを削らなければ。
昼過ぎには溜まっていた書類の整理などもしていた。できるだけものは捨てたい性格ではあるけれど、なにか起きたときのために念の為いろいろ取っておきたい方でもある。相反する2つの感情。
動画
実際のクリア自体はちょっと前にツイートしていたけど、動画としてはようやく今日で1周目クリアと。これだけ時間かけるものなんだなー。それだけの熱量で向かっていけば、相応の体験を返してくれるゲームではあった。僕のプレイはまだやる余地があったな。
自分でやっていたときはただ現れる敵を倒していただけだったが、ちゃんと探索して一生懸命追おうとすればそれなりに嗅ぎ取れなくはないくらいのストーリーではあったのか。それにしても説明は少ないし、それらから妄想することにどれだけ意味があるのか? みたいな気持ちは生まれてしまうんだけど。
でもそうじゃなくて、そういう不毛に思えることも自分が意味を見出してやるなら価値があるはずなんだということは再認識した。最後武器を置いていくのなんてまさにその象徴で、損か得かで言えば損でしかないんだけど、そんなこと言ったらゲームをやる事自体が損とかそういうことにもなってしまうわけで。
ロールプレイという言葉が強調されていて、エルデンリング自体が明確にストーリー、ロールを打ち出しているわけではないところに勝手にロールを見出してプレイするというのが一つの態度なわけだ。それができなきゃ次第に全部虚無になってしまうよ。