日記

日記です

20201212

 午前中はちょっとHTTFの問題を見て終わり。午後はApexをやっていて、夕方ごろからLive視聴。

末法独唱 雨天決行

 まず最初の方、『未来になれなかったあの夜に』と『あんたへ』でかなり感情を揺さぶられた。これらは僕が今とても重要視しているところの感情が歌われていると感じる。孤独と、自分に対する失望と、無気力と、そういうものが混じり合った漫然とした憂鬱感。そこを刺激されると今はとても弱い。

 途中は『爆弾の作り方』とか『ワンルーム叙事詩』に収録されている曲が多くて懐かしさを感じた。こういうところからamazarashiは始まっていたんだ。今のamazarashiとはやや違うような、それでも芯は同じであるような、そこに惹かれてずっと聴いているという核の部分を幻視する。

 僕のamazarashiに対するイメージは「黙れない人」というのが強いかもしれない。とにかくいろいろな感情を歌っていると感じているし、その態度こそを重要視しているところがあると思っている。amazarashiの語る全てに同意するわけではなく、いまいちピンと来ない曲もある。演出として出てきた器に書かれた言葉も、その全てを僕は受け入れるわけではない。それでも、そういう不理解があってなおそれで良いのだという肯定感を持ちたくなる。

 そして最後。最後がスターライトなんだな。これを最後に歌う意味をもっと噛みしめた方が良いと思った。この曲はあまりに希望的で、こういうことを語るバンドならいくらでもあると思ったりもして、僕は今まで重視していなかったんだけど、そうではないのか。

 amazarashiというのは存在自体が一つの生存バイアスの例で、強者で、たまたま上手くいった象徴だから、それが語ることを弱者がどこまでまともに受け止めて良いのか難しいところがある。でも、amazarashiが最後に歌ったのはスターライトなんだぜ。そのことについて僕はもっと真摯に考えなければならないのだろう。

その他

 非日常があると、日常とのギャップを感じてその後が苦しくなったりする。ライブが終わると、Slackに通知が来ていることに気がついてしまうのだ。


 夜の散歩中もそのことについて考えていた。「ライブがあって元気を貰いました明日からもまた頑張ろう」ではダメなんだ。もっと本質的な破壊が起きていないといけないのに。なんで僕には身体があって、人生は続いてしまうのか。これはNHKの陰謀なんだぜ。チェーンソー男は実在するんだ。俺はそういう話をしている。

 世界を終わらせる方法、2通りかなぁ。