日記

日記です

20201019

 午前中ちょっと作業して午後はミーティング。ミーティング長いなー。

プロジェクトセカイ

 イベント終了に伴って追加された楽曲『ステラ』はMV含めてかなり良かったですね。イベントストーリー自体はそんなに面白いとも思わなかったわけだけど、エモさぶち上がりバンドサウンドは強い。曲の途中で盛り上がって互いの方向き始めるの素晴らしいんだよな。


 相変わらずBAD DOGSのことについて考えているんだけど、やはりこれは純粋存在者と不純存在者のコンビという構図として眺めたくて、つまりそれは真辺-七草の構図であるんだよな。そして純粋存在者は圧倒的なので不純存在者の不純さを気にも留めないという形での救いが与えられる。これってどこか宗教的な響きがあって、「原罪とその赦し」ということなのではないかと思い始めている。

 これはいささか極端なものの見方だとは自覚しているけど、まさに不純存在者はそういうものの見方をするからこそ原罪を感じるのであって、それに対して純粋存在者っていうのは「その構図には乗らないぜ」っていうパターンで反発することができる。ここには解釈バトルが発生していて、議論空間の運動なのだよな。その運動が綺麗になされていると見とれてしまうのである。

その他

 究極的には嫌な部活は辞めるしかないし嫌な学校も辞めるしかないし嫌な職場も辞めるしかないというのと同じ構造で、嫌な人生も辞めるしかないのではないかと思う。もちろんこういう結論を雑に振りかざすのは全く正しいとも思わないのだけど、一方であらゆる工夫を施しても人生を楽しめない状態というのはあり得ると想像する。

 死が幸福量プラスマイナス0だというものだとは思わない。思いたくない、かな。そういう幸福量という価値基準自体を放り投げることだと思っていて、価値基準自体を放棄するという選択をどのような価値基準でなら選ぶことができるのかはっきりと明言できない(が、そういうものが存在するとも思う)。


 月曜日なので『月曜日』。『月曜日の友達』は1巻だけ読んで嫌な予感がしてその後読めてないという状態だったはず。なんか、まぁどうなんでしょうね。いろいろよくわかりません。