日記

日記です

20200628

 今日は寝間着から着替えもせず、真に一歩も家から出なかった。午前中はAPEXなる銃を乱射するゲームをインストールするなど。銃を乱射するのは……楽しい! という素朴な気持ち。しかし対人戦は怖いので訓練所で銃を撃って楽しんでるだけで終わった。午後はプロ野球を観たり将棋を観たり。僕自身が話題性の呪縛から逃れられないことを強く感じる。

 ようやく自己肯定感というものの糸口を見いだせたかもしれない。それはやっぱり「ひょっとしたらこの先の人生では良いことが起こるかもしれない」という期待であり、具体的には科学技術の進歩に対する期待である。ここ10年でも世界の状況はかなり変わっていると思うし、自分の想像力がそれに対して矮小であることは確かだから、今後はもしかすると僕のような人間も生きていて楽しい状態になる可能性は否定できない。僕自身がそういう未来の構築に貢献できるかもしれないという期待は失われたが、完全な受益者としての期待はまだ残っていそう。

 希望があれば耐えられるというか、一日を過ごした、一日分未来へ近づいたとして、良いこととして肯定できる。"全く無為に"過ごしてもそれを肯定できるというのが僕の考える強い肯定感であり、科学技術に対する期待を担保にそれを引き出す。これは宗教の、たとえば最後の審判に対する信仰を担保にして引き出すこととほとんど構造としては変わらないのではないか。実際のところ、科学技術の進歩によって社会が"良く"なっているかどうか、僕はちゃんと判別できているわけではない。(なんらかの基準において)良くなっているだろう/良くなるだろうという信仰があればやっていける。そういうことなんだろう。無能感による自虐心を除けば、やはり長生きしたいと思っているのかなと思った。

 ひどく高慢なことを言うと、やはり自分は恵まれている方なのだから社会に貢献をしなければならないという観念に囚われていたところはあるのだと思う。ノブレス・オブリージュという言葉が僕はかなり印象に残っていて、自分が貴族だと言うつもりはないけれど、文化資本とかそういうものについていくらか運が良かったことは確かで、でもその分の"責務"を果たせるほどの能力はないし努力もできなくて……という。まぁこれは肥大した自意識の裏側みたいなもので、プライドとはそういう不要な義務を自ら背負うことそのものだとも言えると思う。

 とにかくそういうものから降りたい。完全な受益者に回りたいというのが今の気持ち。そしてとにかく長く生き延びて、できれば世界が終わるところを見たい。