コンピュータ将棋をちょっとやって、ミーティングがあって、学習を回し始めたので暇になったという感じ。やるべきことからいくらか解放されたはずなのに、特にやりたいことも思い浮かばない。あれ? なんか虚しい。こんなはずでは……。
倫理
裕福な人にしかブランド商品が買えないことや、能力のある人ほど高い賃金を貰えることを、僕はもっとも巧妙な差別の形態だと思っている。差別されている側すらこれを自然だと考えている点で。
— 深井一 (@Raprto) 2020年6月5日
人種などによる差別が許されず、能力による差別は許されるとしたら、その間にある差は「後天的になんとかできそう」だという感覚だと思う。でも自由意志を認めない立場からするとそれらに違いはないんだよね。
結局倫理というのが暴力と独立に存在することはできないんじゃないかと思い始めている。つまり、能力で差別することが許されるのはそうしても人間が怒らないからで、人種などで差別することが許されないのはそれには人間が上手く怒れるからだという見方。「殴られたくないからひどいことをしない」という以上の倫理的態度というのは存在しないのではないか。
倫理の背後に基礎づけをしてくれる特別な観念を見いだせない。人によっては神がそこに座するんだろうけど、僕には見えない。これは人生に意味づけできないというのとほぼ同じ話なのではないか。
その他
現実的な締め切り的苦しさの次に来るのが虚しさだとしたらそんなひどいことはないじゃない?