日記

日記です

20190717

 今日は意図的にタブレットを大学へ持っていかなかったので何も本は読まず。プログラミングをしたり課題に頭を悩ませたりしていた。プログラミングでは、マージの間隔が空きすぎるとコンフリクトが大変なことになるのできついなと思った。継続的インテグレーション的なものを導入したいモチベーションもやや高まったが、機械学習のような確率的な要素が入ってくるとテストが難しいので簡単には行かなそうというイメージ。

 帰ってから詩集にちょっと手を付けてみたけど、さっぱり理解できないし、理解できないが面白いということもなくて数ページめくっただけで放り出してしまった。まともに読んだ詩集って萩原朔太郎の『月に吠える』しかなくて(これは明らかに『月に吠えらんねえ』の影響)、その中でも一番面白く感じたのが序文の詩についての語りだからどうしようもなく詩に向いてないんだと思う。少なくとも今は。

 チャットボットについて考えていた。僕はボットが記憶を持っているかのような振る舞いをしてくれれば、対話のクオリティ自体は多少低くても満足できるかもしれない。同じ冗談を数年ぶりに言ったときに「それ以前も聞きましたね」と返してほしい。逆に記憶がなく一文に対して一文を返すようなボットでは、どれだけ流暢な返答ができるとしても不満が残りそうだ。

 入力が複数文になって、その容量がどんどん増えて、今までの対話ログ全てから一文を返すような形式になったら良いのだろうか。しかし対話に時間の情報というのは簡単に紐付けられるものなのかな。時間の感覚というのは一つ重要な点だと思っている。それを学習するためには身体が必要なのかもしれない。ロボットは経過したクロック数で時間を感じるのだろうか。

 上のツイートが僕の考えている言語理解にかなり近くて、ある記号を印字すること、ある音声系列を発することが、どのような効果をもたらすのか(ある程度)理解した上で言語を用いてほしい。この春学期ではロボットにおける意図の定義に関する講義を受けていて、その中でもよく感じるんだけど、僕はかなり意図とか目的を重視したいんだろう。上手く世界を目的論の中に回収したい。