「それはセカイ系的世界観じゃない」
最近セカイ系的世界観というものをよく考える。爆弾の作り方でもある。それは中間項を挟まないということだ。自分一人で自分による爆弾を作ること。世界破壊爆弾的な何かである。他人の協力が得られないとすると、原子爆弾よりも強いAIを開発する方がまだ可能性があるのではないかと思える。1e-100と1e-99の差くらいなものかもしれないが(しかしそれだって10倍違うのだ)。
自己研鑽みたいなのはある意味でスポーツマン的な世界観なのであって、このセカイ系的世界観ともまた違う。どっちの面もあるのが自分なのだとは思うが、純粋性を求めるならこれらが両立することはないというのもまた確かだ。
概ね自分は
- 快楽主義(小説とか漫画とか)
- 自己研鑽主義(競技プログラミングとかコンピュータ将棋とか)
- 世界破壊主義(研究とかコンピュータ将棋も部分的にそう)
の3パーツから成っていると感じる。あとは一番根っこのところに純粋主義というものがあるかもしれない。
やはりこうしてみると一番厄介なのは純粋主義なのでは。この性質があると、どれか一つに絞らなくてはならない。しかし純粋主義さえなければこれら3つを同時に追えるかもしれない。プログラミングを適度に楽しみつつ、そこそこ順位を目指し、それを用いてあわよくば世界破壊を目論む。それがある種の理想なのでは? 純粋主義だけがそれを許さない。
純粋主義はセカイ系的世界観と近いので、世界破壊主義に近くなる。それは方針としてあまり筋が良くないと思うがなぁ。