日記

日記です

20190827

 天気の子に対しての「自己肯定感が高すぎる」という感想が、僕の作品の好みにおいてかなり本質的な部分なんじゃないかと思い始めてきた。おそらく僕は決断的行動、というか決断的態度が嫌いなのではないか。それよりは、なにもわからない中でなにもわからないって言っているうちに全てを失う話が観たい。正義に基づいて、確信に基づいて行動されると、内容によらず好きになれない気がしている。

 ただ僕はそこまで希望を捨てきってもいない(?)から、全くもって暗いだけの話が好きなわけでもない。一番好きなのは「何一つ確かなもの、信じられるものなんてないような中で、しかし漫然とした良さ、善性のようなものに弱い力で惹きつけられ、(表面的に決断的に見える)なにかしらの行動を取る」ようなものなのではないか。つまりこれが今回見出したスパイラルとヴィークルエンドの共通項。

 僕は本当にずっとこの2作品の話ばかりしているな。ヴィークルエンドセカイ系ではないと思うけど、セカイ系的作品にはややこうした迷い的な傾向があるとは思っていて、たぶん僕が好きなのはその部分だと思う。エヴァンゲリオン、出会い方が整っていればめちゃくちゃ好きな作品になっていたのかもしれない。僕は上手く出会えなかった。

 決断に対する忌避感というのは、確か『ゼロ年代の想像力』で批判されていた気がする。僕はあまりあの本は好きではなくて、つまりそれこそがそういう態度なのかもしれないと思ったりもする。そもそも断定口調で語られる評論なんて好きになれるわけがない。

 実はこういう意味で名探偵ものとは相性が悪いのではないかと考えている。特にシリーズものの名探偵は、基本的に迷いにくいと思う。ミステリ的な仕掛けが好きなのでもちろん名探偵ものの中にも好きな作品はあるわけだけど、その評価はまた別の評価軸によるものなのかもしれない。