給料日。意外とたくさんお金が入ってきた。ちょっとしか働いていない気がしたが、カレンダーを見直してみれば8月も10日間出社していたのだな。学生からするとそこそこだと感じる一方でこれが正社員的な給料と考えるとやっぱり少なくて、そこにいくらかのギャップを感じる。もし僕が1,2年後に正社員として入った場合、能力的にはほとんど変わらないだろうに貰うお金だけ増えそうで、それはなにに対する対価なのかがよくわからないということだ。
「プラスに働く」とか「よくない作用」とか、そもそもなにがプラスでなにが良いことなのかわからないとそれによる決定はできないのだろうと思った。お金を失うことが、死ぬことが、精神状態を悪化させることが、それぞれマイナスであるとなにに依拠して言えば良いのかわからない。
判断基準を決める判断基準を求めたとき、判断基準を決める判断基準を決める判断基準を求め始めることに繋がりやすく、一瞬にして堂々巡りに到達する。この世にはいくらかそういう「すぐループに入る」類の問いが存在し、そういうものを問い始めなければならなくなった時点で、そいつの人生は相当に不幸なんだろうと思う。
やっぱり僕が創作に興味が出ないのは城平京によってめちゃくちゃにハードルが上げられているからという面もありそう。あのレベルのお話をひねり出せなければ創作をしても楽しくないだろうと思うし、それには大量の時間と労力が必要だとも思う。それだけのリソースがあれば、今はそれをプログラミングにつぎ込んでしまうだろう。適正という意味でもそちらの方が自分には合っている可能性が高そうだし。僕は専門家という存在に一定の尊敬心を持っていて、逆に中途半端に手を出すということに関していくらかの嫌悪感があると言って間違いではない気がする。あまり良くない面もある精神だとは思うが。
まだ祈りの所作はぎこちないけど、もっと身体に染み付いて自然にできるようになれば良い。この日記が邪魔になっていないか? そういうこともあるだろう。