日記

日記です

20190808

 人間が密集して生活していると良くないことが起こるのでできるだけ離れて生活することが理想だと思っている。現実世界での距離は近すぎるのでインターネットで上手く距離を取れるのではないかと思っていたけど、インターネットをただ使うだけではどちらかと言えば密結合する方向に行ってしまうのかもしれない。

 人と離れなければならないのは、人と人が近いと良くないことが起こる、不幸が発生するからだ。これは実は人間心理を重視した立場であり、もし周りの人間に心を認めない立場を取るならば周りで不幸が起きようがそれはどうでもいいこととして考えられるはず。そうでないということは他人の内部に心理状態を認め、それが健全に保たれることを善いとする考え方を持っているということになる。

 心理を重視する立場の怖いところとして、もし将来人に近いロボットができたとして、人間の精神に神秘的なものを認めないならばロボットも人と同じような心の振る舞いを獲得できると考えざるを得ない。そうすると心理重視の見方からしてもロボットが人間と同じ重要度になるわけで、人間から離れてロボットと生活すれば良いということが成り立たない。人間と接する代わりにロボットを用いるということはできない。人間を不幸にしてはダメだがロボットなら傷つけても良いという判断はできないと思う。本質的に他者とのコミュニケーションを諦める以外の選択肢はないのではないか。

 そういうコミュニケーションを諦めて人と離れて生きるという方向性の一つとして創作物のみを鑑賞するという態度があると思う。こうして考えているとノベルゲームを上手く楽しめない点がかなり致命的なことかもしれない。ゲームに自己を没入させ楽しむという技術が離れて生きるには重要なのではないか? それは小説的な、物語を外部から見て楽しむ技術とはまた別物のように思われる。別に媒体がゲームそれそのものに限る必要はないが、主観を一致させる、憑依させるような鑑賞方式は会得しておくと便利そうだなと思った。