日記

日記です

20190610

 大きな物語(宗教とか国家的イデオロギー)が無い状態では、個人的な好悪に基づいた行動をしていき、個人的な幸福を拾い集めていくしかない。それがいくらか動物的だと言うならばそこまで外した表現でもないのかもしれない。もちろん動物的な生き方が悪いというわけではなくて、ただ性質の違いがあるだけ。後者の振る舞いを上手く取れないという人間がいるだけ。

 何かの本で読んだのか自分の妄想なのかわからないけど、「神は死んだ!」という叫びはこういう大きな物語が喪失されたことに対する悲嘆なんじゃないかと思っている。それは宗教を打倒したなんていう勝利宣言ではなくて、「神は死んだ、のにどうしてお前らは平気な顔をしていられるのだ」という困惑。

 ところで僕が国家的イデオロギーに上手く巻き取られることができるタイプの人間かというとそれもまた怪しい気はする。国家が繁栄したところで「だから何?」と思うのは今だからなのか、もともとだろうか。

 科学は現代に生き残っている大きな物語の一つだと思う。しかし科学に参画するためには高い能力が求められる。祈りをささげるだけで参加を認めてくれる宗教(これも雑な言い方だろうが……)とは、やはり立場が大きく違うのだ。

 本当は人類を滅ぼす程度では満足できないはずだ。地球を砕いてもまだ駄目で、銀河を潰すとか、この宇宙の枠組み自体を終わらせるとか、そういう方向性でないと理屈としてはおかしいと思う。

 唯我論を信じているなら死ぬだけで世界の崩壊なのではないか? やはりその意味で実感として信じているわけではないのだろう。