日記

日記です

20190407

 今日は13時ごろ研究室へ行ったけどあまりやる気が出ないまま、ほぼ何もせず終わった。休日はどうしてもやる気がいまひとつになってしまう気がする。曜日の概念を頭の中からなくしたい。しかし明日からは講義が始まるので嫌でも曜日を意識せざるを得ない……。今週末までのタスクが結構溜まっているのに全然処理できてないので、結構まずいです。

アニメ

 秒速5センチメートルを観た。2回目かな。僕はこれが刺さってしまうタイプの人間です。

 感想をいくらか漁ると男女における恋愛観の違いみたいなところで解釈をしているものが見つかるけど、僕は人に対する執着というレベルの話として解釈されるのは違うのではないかと思ってしまう。主人公が引きずっているものは初恋の対象ではなく、初恋それ自体でもなくて、あの雪の日の完全なる体験それそのものなんじゃないか。それはある種の神秘体験みたいなもので、起こるべきではないような奇跡が起こってしまったためにそれに呪われてしまう、そういう話だと僕は解釈したい。そしてさらに凄まじいのは呪われることを肯定的に描いてしまうことで、そうなのだ、僕らが本当に望んでいることは、実は呪われることだった。

 完全な体験をしても、しかしその後に日々が続いてしまうというのが絶望なんじゃないだろうか。日常それそのものが絶望であり、それを全て神秘体験への感傷で塗りこめることしかできない。これはそういうお話なんじゃないか。人の人生というものはたった一つの完全な「イベント」のためにだけにあり、それら以外は全てその「イベント」のためのものでなければならない。従って「イベント」後の日々を、無為に過ごすことでしか「イベント」の完全さは主張できないのだ。だから2話、3話での主人公は、ああでなければならない。「イベント」が人生の途中に来てしまうことが何よりの不幸であり、来てしまったなら直後に死ななければならない。この作品にハッピーエンドがあるとすれば雪の日にミサイルが降ってきたり大地震が起きたりすることだけだった。

 まぁこういう解釈とは別の話として、前島賢の文章がそれはそれで面白くて、そんな率直な表現をしてしまうのかという感じ。

「初恋の女の子を忘れられずに傷ついていたい。そんな俺の傷ついた姿を女の子に好きになって欲しい。でも俺は初恋を忘れられないので、女の子たちは去って行く姿を見てもっと傷つきたい。ついでに、そんな女の子たちを想って、格好良いモノローグをつぶやいたり、格好良く桜の花びらの降る街を歩いたりしたい」

 異常な拘りはかっこいいんですよ。今はまだそう思えています。その気持ちは失いたくないと、少なくとも今は思っている。秒速、大変良かった。