日記

日記です

20190401

 昨日寝るのが遅かったので今日は11時頃に研究室着。

 もっと実験を明確な目提起意識の下にやっていかないとダメだと思った。漫然と実験するのではなくこの実験で何を比較して結果がどうだったのかをもっとまとめないと。

 しかしちょっと論文を読んだ後はやる気がさっぱり出てこず、精神的にあまり調子が良くない感じだった。なので早めに撤退。

シャニマス

 シャニマスで巨大隕石が降ってきました。そうなんですよね。救いは巨大隕石の形をしているのです。しかし隕石を割ってはいけない。

 冗談はさておいて新シナリオがめちゃくちゃ良かったという話がしたい。これ三峰氏全体で共通なのかお試し/みつゴコロ固有の話なのかわからないけど、とんでもないもの投げつけられた。途中、というかシーズン終わるところまで(メイン部分のコミュ)はまぁそこそこある話かなと思っていたけど、そこからの後日談というか続きの話が非常に本質を突いていて素晴らしかった。

 やっぱプロデューサーの言語的センスがイケてる。歩み寄り宣言とか言いだしてしまう言葉の選び方が良いし、そこまでの会話からそう持っていくのは名キャラクターとしか言いようがない。隠す隠さないの話って確実に僕が好きなやつだしそれをこのクオリティでやられたらそれは降伏してしまうよ。三峰氏、シャニマス触り始める前に予想してたのより3倍くらい良いキャラクターだ。

 あと僕が「二次創作的」という言葉で表現したいものが少しわかったかもしれない。当然ながら一次創作との対比が念頭にある表現なわけで、では一次創作に求めているものは何かというとプロットの技法なんだと思う。なんだかんだそこそこミステリに手が伸びてしまうように、出来事あるいはその見せ方を通じて描写してくださいというのが長編を読むときの精神な気がする。

 そこから二次創作的というのを振り返ると、つまりプロットを放棄してワンシーンそれだけで勝負するということになる。もっと言えば「会話」。会話だけを使ってキャラクターの心の機微を描いてくださいという話。

 今回のコミュもメイン部分はプロット的な見せ方があるとは思う。だから後日談のところだけが二次創作的ということになる。もちろんそこまでの流れを受けての会話なわけだからそれだけが独立しているわけではないけれど、ここの会話それ一本でねじ伏せにくる感じがまさにそれ。

 夕方頃はかなり落ち込んでいたのだけど少し元気になってきた。そういうことです。