日記

日記です

20200510

 なんか微妙にちょこちょこ作業をしていた。


 創作で「二人のキャラクターの心だけが入れ替わる」という設定はたびたび目にすると思う(cf. 『君の名は。』)んだけど、この現象が理解可能なものとして扱われているのは面白いなと思った。もちろん僕だってそれをちゃんとそういう現象だとなにがしかの理解をして作品を観ていたわけだけど、本質的な意味で「身体的特性はそのままなのに、主観だけが入れ替わる」なんてことが本当に想定可能であるか? という気がする。これは本当は理解不可能な現象であるべきではないのか? でもそれが創作として描かれて、ほとんどの読者にとって理解可能であるということがどういうことなのか? 言葉、思考による型みたいなものを感じる。

シャニマス

 久しぶり黛冬優子シナリオ。しかしこいつマジでゲーム性と噛み合いが悪すぎでしょ。なにごとだよ。うーん、やっぱり微妙だな。

 白瀬咲夜の感謝祭の方をやって、初めて感謝祭コミュはユニットで共通だということに気づいた。それはそうと「私は世界を愛している」すごい宣言だ。

 にしてもやっぱり僕はこういうゲームやるのが全然得意じゃないなということばかり感じる。やめたい。

競プロ

 今日のコンテストもダメだった。Streak繋いでいるとかぬるいこと言っているようではずっとこのままだろうな。なんか自分が社会人になったらあっさり競プロ辞めている姿が想像できてしまった。たとえば水色落ちなんて事態になったらその後続けていける自信がない。

「B1から落ちたら墓場だと思っていた。でもそうじゃないんだ。落ちたらまた上がればいいんだよ。そう思えない精神状態がおかしいんだ。何度でも上がればいいんだから」(将棋世界2012年5月号 P77 特集第70期順位戦最終局)

 個人的には「落ちたらまた上がればいい」と思える方が異常な精神構造に思える。もちろんそれがプロ的な精神ということなんだろうが、一般の人にとってプロは異常だ。僕がどうなるかはわからん。