日記

日記です

20210720

読書

 読む前の時点で6巻と7巻がそれぞれどういう話だったかを明確には思い出せなかったのだけど、実際にほぼ続き物になっているのだった。切るわけにもいかないので続けて読み切った。

 やはりね、シリーズ後半になると河野裕的な、とにかく語りたがりな面が強く出てきてやや面食らうところもあるんだけど、それこそが根底の思想なのだろうと思うし、やっぱりそれは僕も嫌いじゃない。千の言葉と万のコミュニケーションを行うべきだ、という主張は、まさにそれ自身をもってなされなければ説得力なんてないじゃないか。全員が満点の幸福を得られない状況というものはあって、それがまさに最終巻で描かれる話だったりするわけだけど、とにかく対話するのだという、ここには明確な理念がある。

 正しさとか、感情とか、難しいことについて考えることは難しく、適切な言葉にならないことがほとんどだ。それでも、僅かにでもより良い言葉を使えるようになるならそれは喜ばしいことだし、なにか善的なものを感じるし、そういうものを積み上げていくべきなんじゃないかと感じる。この作品で描かれているのは、だいたいそういうことだ。

 久しぶりに読み返して強く印象に残ったのは2点。河野裕はかなり直観的なところを重視しているのだと思い直したところと、後はローカルな対話を重視してそうだと感じたところ。これらは、実のところ僕の理念と整合するかというと怪しいところは多い。僕はある程度理性主義を自認しているし、インターネットを通じたテキスト的コミュニケーションしかないような生活に身を置いている。だからこの作品を肯定すると、自分の現状を否定することにも繋がりかねない危うさを感じていたりもする。それでも、僕はこの作品を好きでなくなることはできないんじゃないかな。自分が再現できなくても、一つの理想の形として存在していてほしいんだ。