日記

日記です

20210202

 届かない悲哀のパラドックス。明らかに僕は届かないメッセージという概念が好きだけど、それ自体が作品化されて僕が読んだものは少なくとも僕に届いてしまっているので真に届かない悲哀を表現できているのかどうかという問題がある。虚構世界の中でそうであることと、それが現実世界に対して意味を持ってしまうことはまた別のことではあるが、しかしそんな割り切りで大丈夫だろうか。作品というのもひどく抽象化された言葉でしかないと思うことがいくらかあり、つまりは動物にとっての鳴き声で、それは現実と完全に切り離されては存在できないのではないか。

 近い話題として、虚構キャラクターや人工知能を、生身の人間とは違って内面を持たない(傷つかない)ものとして利用することの倫理的問題を考えたりする。表現規制にまで至るかはともかくとして、虚構相手にならば何をやっても良いというのは本当かな? 本当なのかもしれない。どれだけ虐待的な行為でもそういうことを想像したり表現することについて問題はない気はする。僕は見たくないというだけで。

 好きになれなかった作品について触れるべきかどうか悩んでいる。何かを好きになれなかったというのも僕の感性を輪郭から語るやり方として良い気はするが、そんなことをするべきじゃないという気もする。やるなら気合いをいれなきゃいけないと思うし、今はコンピュータ将棋に忙しいので少なくとも今じゃないか。