コンピュータ将棋、強くする方法がさっぱりわからない。少し苦しくなったりもするが、試行錯誤を繰り返していくしかないということも思い出した。少し前が調子よく行き過ぎていたな。これに関しては一喜一憂せず淡々とやっていくしかない。
そういえば昨日書き忘れていたけど、草野原々のツイートへの言及に一切反応がもらえなかったの寂しかったですね。
今後作られる日常系アニメ(現実世界と大きく変わらない虚構世界が描かれる)において、新型コロナウイルス・パンデミックが起きたという虚構的真理は(たとえ作品で明示されなくとも)成立するか?
— 草野原々/GenGen Kusano (@The_Gen_Gen) 2020年4月6日
以前はもっと「虚構世界は現実世界とは独立に存在するものだ」という感覚があった気がするけれど、今は結構薄れているかもしれない
— t (@tokumini_ss) 2020年4月8日
ツイートの通り、虚構世界が確固たるものとして存在しているという感覚が薄まってきた。この疑いは特にアイドルマスターとかVTuberとかを見てるときに頭に浮かびやすい。そうでなくとも虚構世界で現実にある地名とかを使う場合、絶対に現実とのリンクが生まれてしまうことが気になったりする。地名以外にも現代科学技術が作中に登場する場合、部分的には軍事研究がもとになっている場合も多いし、技術が生まれる背景としては戦争があると考えるのが自然になる。となると第二次世界大戦とかは当たり前にあるものなのかな、とかそういうことになるわけで。社会に影響の大きい事象、日本における大地震とかをどの程度取り込むかとかも難しそうではある。
つまりなんというか、虚構世界がかっちり独立してそれ自体として(現実世界とは別に)存在するという想定には無理があるんだろうなという気がしている。すべてを描写するわけにはいかない中、描写されないところは暗黙のうちに常識で補間される。しかしその補間され具合にも読者によって差があり……。では虚構世界ってなんだ? 本当にそんなものがあるのだろうか?
だから実は冒頭の問題には「真偽を問えるものではない、ナンセンスだ」と言わなければならないのではないか。押したときは10分くらい考えて「不確定である」を押したんだけど、今はまたちょっと意見が変わっているかもしれない。
人をコンテンツ的に消費することに対する拒否感が薄まったのも部分的にはこれと関連しているのかもしれない。虚構世界が独立しているわけではないなら、人と作品の間にある差は連続的なものでしかないのではないか。
露骨に「ピコリーモ」で検索してんだろうなっていうふぁぼを食らったが、そういう努力も嫌いではないので聴いた。(そのワードで営業かけているんだから当然だろうけど)傾向として好きな方ではある
— t (@tokumini_ss) 2020年4月9日
Vertex in OriginのVertex in "the" Origin https://t.co/nB7zC6QZqQ
今までなら反応しなかっただろうなというもの。最近こういう知名度を高める地道な行動というのが結局大事なのではないか、それに対して好意的な反応をするべきなのではないかと思い始めている。なんとなく媚びた感じがしていてダサいとも感じられてしまうんだけど、それは無駄なカッコつけなのかもしれない。
ただ自分ではそういう振る舞いをすることにまだ抵抗があるのも確かなのでなかなか難しいところ。「#○○好きと繋がりたい」みたいなハッシュタグ絶対に使いたくないもんなぁ。
動画
やっぱり後半になってくると微妙だな。というかマーカス編が受け入れ難い。でも最後まで観たらわりと良いゲームだったんだなって思ったりした。比較してみると僕のプレイはひどかったなぁ。アドベンチャー・ノベルゲームを上手く楽しめてないことがわかってきて悲しい。実は小説だってそうなんじゃないか? 作品のポテンシャルを十分に引き出せず評価することの虚しさ。
その他
全体的に落ち込み気味だ。原因はわかるような気もするし、単一ではなく複合的である気もする。漫然とした将来への不安。どうすればいいのかよくわからないな。