日記

日記です

20210117

 午前中は競プロとApex。1問解くとそこで今日の分のやる気が消滅してしまう。

 午後は本読んだりシャニマスをやったりシャニマス関連の動画を観たり。もうちょっと本読む時間を増やせれば良かったんだけどな。

シャニマス

 幸福主義者とそうでないものの対立は市川雛菜-樋口円香でも見られるテーマの一つではあるんだけどStraylight.run()でも改めて見るとかなり直接的に行われていたことがわかる。これは確かに黛冬優子と樋口円香の類似性が指摘されるのも当然だな。

 どちらもキリキリしたキャラクターで、楽しさよりも重要なものを見ている。それぞれ対比キャラクターを用意してコントラストを付けているのだからこれは製作側としても一つ強調したいところなのだろう。今回では「なんで、楽しくないようにするんだろう」というかなり強いセリフも出てきていた。市川雛菜も相当鋭い言葉使いをする方ではあるけれど、芹沢あさひもここまで言っていたんだな。

 幸福主義の否定と世界に対する不信が結びつくのもある意味では自然な流れなのかもしれない。世界を信用していないから、身を委ねるという振る舞いができなくて、意識的に姿勢を作ることなる。

 僕は樋口円香が好きなのでストレイのストーリーを観てもそのことについて考えてしまう。黛冬優子は(ある程度)Pとかユニット仲間に対しては態度を変化させている一方、樋口円香はもっと不信を徹底している。アイドルプロデュースゲームにおいてPすら信用せず、幼なじみを舞台へ押し流していく外敵とも言えるものとして眺めている視線がとても強靭だ。もっと言えば、幼なじみ自体も別に内側の存在とも言い切れない描写になっているとも感じられる。樋口円香は交友関係がないという意味の孤独ではないと思うが、世界観を誰かと共有できている雰囲気がない。樋口円香、それは修羅の道だぞ、とも思うが、その道をこそ邁進して欲しいとも思う。


 『アジェンダ283』のストーリーを観た。どのユニットも仲良さそうだけど、それぞれ微妙に毒というか、愉快なだけじゃない要素を紛れ込ませているのがライターのプライドを感じるところか。越境イベントという制約の多い中で各ユニットの個性を描きつつ面白みを出すのは一つの業だ。SGDsという単語が一際目立つけど、それ以外にも透徹した思考があるからこそ描ける流れがあるように見えて、そこにはやっぱり知性とか教養の力があると感じる。

 こういうところを大事にしてしまうあたり、どうにも僕は知性主義から逃れられなさそう、というのが別の面での感想ではある。