日記

日記です

20210110

 午前中は昨日のコンテストの復習をちょっとした。午後はずっとシャニマスをやっていた。

シャニマス

 久しぶりに。

ノクチル(樋口円香)感謝祭編

 まずは樋口円香の感謝祭編をやった。特段、何かすごい出来事が起こるわけではなく、いつものノクチル的雰囲気という感じ。間が多かったり、曖昧なセリフが多かったり。

 ギャグ的にウケたシーンも多い。会話をしない市川雛菜とか、ステージ上でなんか小さい声で呟いている浅倉透とか、「やるか」と乗りだす樋口円香とか。

 個別シーンとしては、樋口円香の不信的態度は好ましく思える。きっと何も信じちゃいない。なんでこんなに諦念を抱いているのかは知らないが、それは一つの現代感覚だろうな。

イベントストーリー

 そしてイベントストーリー。また難解そうなのが飛んできたけど、やっぱり全体としてはモラトリアム文学という枠組みになるんだろう。大きなビジョンを持たない、風の吹かない場所から、飛び出してしまうその直前。P側はどう足掻いても正義側にしかならないので、その誘導に従って飛び出しをあまりに肯定的に描きすぎると嘘っぽくなってしまうところはやはり気になってしまうが。とはいえ単なる都合の良い話にしないよう、いろんな反発的描写を使ってギリギリのラインでそれを回避していると思う。

 ノクチルのイベントストーリーは、天塵もこれもWING前という解釈で良いのだろうか。ちゃんとアイドルになってしまったノクチルにどこまで魅力が残っているのか? という問いもあるわけで、感謝祭コミュがあんまり面白く思えてなかったのはその意味でどうなのよって感じではある。アイドル作品で「アイドルらしからぬこと」を特徴とするとどんどん首が締まっていくのではないか。


 シャニマスはやっぱりなんだかんだでシャニP視点から見ている人が多いっぽいのかな。僕はあのシャニPは異常者にしか思えないのでそこからの見方にはあまり入っていけないし、逆に樋口円香とかそういう視点の方に肩入れしたい。

 これは本当に個人的な願望なんだけど、樋口円香を外部から見て愛でないで欲しい。モラトリアム文学を外部から眺めるやつはもうモラトリアムから脱している。外から見るな。醒めるな。

 モラトリアムの記述を虚構でやる必然性というのは、内部から内部を眺めるという歪な構造を可能にする(ひょっとしたら唯一の)手段だからだ。


 まぁ突然シャニをやりたくなったのも昨日これやってるのが目に留まったからではある。流石に初見は自分だけで判断したかったので、数時間かけてやったわけだけど、その後これをまた見て数時間という感じ。今回のイベントストーリー長いなー。

 こうして2回目も見るとジャンプシーンを特殊な瞬間として反復する点など相当練られているというのがわかってくる。時事ネタを含みつつ綺麗に繋げていくのすごいな。

 テーマを小物とか特定の振る舞いに分散させて散りばめるのは文学が好むやり方という印象がある。明示的に気づかなくても、そういうものが全体の雰囲気を構成して作品の土台となるわけなんだよな。

競プロ

 今日はなんか調子良かったです。