日記

日記です

20200415

 昨日、髪を短くしたら、なんだかひどく老けて見えるようになった気がする。鏡は老化を隠してくれない。目眩が――日常生活には全く影響がない程度とはいえ――完全には消え去っていないことも含めて、もう若い方ではないという感覚が強まる日々。

 老化と言えば象徴的なイベントは誕生日だろう。だから僕は誕生日が嫌いで、この日記は1000日以上続いているのに一回も自分の誕生日の話をしていないのがその証拠といえる。周りの人にも誕生日を明かすことはほとんどないから祝ってくるのは家族くらいなものだが、よりにもよって家族が勝手に祝ってくることに対して「僕の気持ちも知らないで」と内心思わないでもない。

 誕生日は祝うものという常識に対する違和感と、家族的な関係性に対する違和感は自分の中で近い位置にある。家族の人格が悪いとかそういうことではなくて、親は特に一般的な視点からしても良い親であるとは思うし、でもそういうものを素直に受け入れたくないと思ってしまう。ただの逆張り主義、あるいは僕の性格の根幹。

 創作における家族の物語が嫌いなのもこのあたりが原因なのだろう。家族愛なんてものは見たくないし、一方でひどい親に悪く扱われたという話も好きではない。家族の人格自体は悪くないのに家族概念それ自体が好きではないという構造にしか切実さを感じられない。

 単に家族が嫌いなわけではないから、なんだかんだで自殺を考えたときには家族(というか主に親が)「ほだし」に感じられたりはする。親が悲しむことそれ自体というよりは、親として非が少ない振る舞いをした人間に対して訪れる事態が子供の自殺ではあまりにも報われないだろうという感覚。ある種の公正世界仮説なのかもしれない。

 こんな時世だと、ひょっとしたら今後一度も親に顔を合わせることなく親が亡くなる可能性だってあるのではないかと考えたりする。そうなれば、きっと自分は親不孝であったことを後悔するのだろうが、しかしそうは思っても今の振る舞いを変えることはできない。後悔まで含めて一連の流れ。

 湯船に浸りながら、ぼんやりと考えていた。