引きこもっていた。
ライトノベル
なかなか良かったけどもっとツイストかましてくるかと思ったらあんまりそうはならなくてそっかーとなった。鈴木大輔って名前を見てもわからなかったけど、著作リストを見れば名前は見聞きしたことあるものがいくらかあって、やっぱりある程度著名な作者だと文章は読めるものにはなっているんですね。しかし気軽に「次巻へ続く」をされるのはしんどいなぁ……。
アニメ映画
ロトスコープはあまり好きじゃないが、主人公二人の声が低くて良かった。話の筋は、うーん、まーそんなもんか。ちゃんとしたミステリなら仕掛けとか解決編がもっと派手になるんだろうなぁとは思った。これ自体が違う映画の前日譚なのか。しかし実写は苦手なのでパス。
漫画
というわけで道満晴明の漫画の方にも行く。いきなり無茶苦茶やってて笑う。展開に制約があるからどうしても派手にはなりきれないわけだけど、これくらいおかしいのもこれはこれで面白いなぁとは思う。
ゲーム
DEATH STRANDINGをいくらかやった。バイクが手に入ってようやく配達人らしくなったと思ったら山岳地帯を超えられず置き去りに。というか敵に対する対抗手段が発生したのでスニークというよりもわりとボカボカやるゲームになってきた。ボス戦もあったし。
しかしトロフィーをチラ見した限り、まだ1/3も終わってないくらいなのでこれめっちゃ長いのでは。ゲーム体験として楽しいかというと今のところやや微妙なんだよなぁ。挫折しちゃうかも。
ライトノベル2
僕の苦手な道徳的なお話だった。より正確に言えば、最終的な結論に至る理屈の説得力が足りないと思う。作中で打倒するべきキャラクターの考え方に深みがないので、藁人形論法のようなものを感じてしまうんですね。でもそれって程度問題でしかないから、やっぱり人それぞれ好み(納得する議論のレベル)が異なるよねという一般的な話にしかならなさそう。まぁ僕はこの作品ではあまり納得できなかった、そんな感じ。
ひょっとしたら全然見当外れの感想を残しているかもしれない。最近自分の感想というものがさっぱり当てにならないと感じることが多い。自分の思っていることがよくわからない。本当は違うところが気に入らなかったのかもしれないけど、出てきた言葉はこれだったという感覚。
その他
昨日の夜あたりから「実は僕は研究が好きではないのでは」という疑念が浮かび始めている。好きというなら可処分時間を全てそれにつぎ込まなければならないというような考えがあり、昨日とか今日とか休日のなんだってできるときにしないということは好きではないのではと思ってしまう。もちろんこれは0か100かしか許さないような極端な考え方だとはわかってはいるんだけど、理屈ではなくそう感じてしまうというものについてどうやって受け入れていくべきかは悩ましい。
研究が好きではないとすると、平日は好きではないことを嫌々やっていることになってしまい、それは不幸なことだと思う。いや、それも程度問題なんだ。そんなに嫌ではないから職を得るため(卒業するため)にやる程度は我慢でき、しかし休日にやるほどでもないというものだってあるだろう。でもそれが職に繋がるのも不幸だしおかしいことだと思ってしまう。少なくともそれは完全な理想ではない。完全ではないものはできるだけ改善を目指すべきだと思う。
今の僕の考え方だと、お金を稼げることと好きなことが一致しなければ不幸であり、前者を変えるのは難しそうなので後者を変えるということになる。自分は無理やり研究を好きになろうとしている、あるいは好きな振りをしているんじゃないか? それは歪んでいることだろうか。本当に好きになれるならこの方針だって間違ってはないと思うんだが……。でも現に徹底することはできていないので問題と言えるかもしれない。好きでもないことを無理やりやっていくとどうなる? 別にそれで精神が壊れて死ぬとしても、それはそんなに悪い話か? 生きながらえることそれ自体が目的になってしまってはおかしい気がする。
本とかゲームとかも本当に好きなのかはよくわからない。自分が何を好きなのかよくわからない。楽しいと思うことがわからない。そういう状態だと自然とつらいことばかりに目が向くようになってしまう。なんとかしたいところだけど。