日記

日記です

20191202

 ポケモンYのクリア後シナリオをやっていて、全然記憶がなくて(本当にやったことがないのかもしれない)いくらか新鮮な気持ちでプレイしていたのだが、それはそうとして最後に「物語は終わるが日常は続く」みたいな文章が出てきてちょっと考え込んでしまった。物語が終わったら日常は続いてはダメじゃないか? いやダメではないのかもしれないけど、当然良いことだとは思えない。なんだろう、やっぱり物語と日常というのは相性が良くなくて、どちらかしか選べないというなら僕は物語を選びたい。


 自分の能力、好みを自分で選んだわけでもなければ、今の社会が自分の持っている能力を評価するかどうかも全く選べるものではないので、なんとなく全てが運だなぁという気分になる。全てが運だからといって、じゃあ得られた資産を全員に平等に分配し直すべきかと言われれば必ずしもそうでもない気はするが。宝くじに当たった人はおめでとう。当たらなかった人は残念でしたね。そんな感じ。もちろん当たり/外れの2値ではなくてもっと段階的なものだとは思うし、格差が大きいと刃物を振り回す人が増えそうなので自然とバランスが取られるのではないかなとも思うが。でも治安的な意味だと格差是正よりもゲーテッドコミュニティとかそういう方向へ向かうのかもね。

 今の社会がいくらかの能力を高く評価しており、自分がそのうちのいくつか(読み書き、プログラミング能力など)を高めるように適応した面もあるとは思うんだけど、それを自分で選択したという感覚はやはりない。これはもう感じ方の問題であって、「我々には自由意志がないのだ!」と他人と論争する気はない。別に自己決定感を持ちながら生きている人がいるのは良いし、どちらかというとそうい人の方がいろいろ状況を良くしやすいのだろうとも思う。そういうことができない人は運に任せて生きるしかない。ずっと運が向いてこないなら、それは仕方のないことだなぁ。


 a crowd of rebellionが:12_Whiteなるものを出していることに気づいてびっくりした。数回聴いた感じだとBlack_24:の方が好きかもしれないという印象だけど、何度も聴いていけばどうなるかはわからない。


 高校の同級生で結構親しくしていた(と僕は思っているが僕が大学生になってからはひょっとして一度も会っていない?)人の一人称が「私」だったことを思い出して、それが自然になされ、また受け入れられていたことは良かったなと思う。


 ひょっとして願い間違えているのかなぁ。そうかもしれない。