日記

日記です

20191009

 モチベーションの低さがかなり深刻。こんなことをやっているからダメなのだと、行動に制限をかけたところでそれは本質的ではない。ダメな行動をやめるのではなくて「きちんとやる」以外に精神を元気にする方法はなく、それができないので精神がどんどんダメになっていく。

 普段から自由意志を信じてないとは言ってきてはいるものの、やはりそれを何度も口にしてしまうということは逆にどこか信じているところもあるのだろう。しかし今日は本当に「運命」という概念に負けそうになった感覚がある。城平京の作品をこれだけ読んどいてあっさり運命に負けてしまうなんて、とは思うが、そう思ってもどうしようもないものはどうしようもない。

 「僕等は常に武器を探している」(amazarashi/爆弾の作り方)について、自分はその武器にナイフを選ぶことはないと半分祈りつつ半分確信していたけど、それもまた確実なことではないなと思った。僕とナイフを選んでしまった人との間に、本質的な断絶は存在しない。

 運命vs自由意志というような対立構造にしてはダメなのだと思う。運命に抗うのは自由意志ではなくて、そんな信じられないような希薄なものではなくて、その「運命」を解体して再解釈するという方法しかないのではないか。どうしようもなく進行するものを、外部から与えられる意味を、敢えて内側から解釈するという態度。城平京の作品で描かれているのはそういう態度なのだと僕は読解している。

 ただ、それはそんなに容易なことではない。いま自分の手元には一つだって再構成するための材料が見つかりはしない。神が「最後まで運命に抵抗する戦いの歌」を歌うのはある意味残酷で、「運命に負けたもんを癒す愛の歌」を歌う悪魔のなんと優しいことだろうか(スパイラル12巻)。本当に、善性を信じるしかないんだろうな。

 一日の最後になってやや元気が出てきた。消して書き直そうかとも思ったけどとりあえずはこのままで。