午前中はゲームして、午後はちょっと本読んで、あとはぼんやりして。こういう一日をあと何回送れるのか。
研究室から追い出されれば計算資源がないので本当にコンピュータ将棋開発は止めざるを得ないんだけど、そういうことになるとはさっぱり思っていなかったので不思議な感覚だ。なんだかんだずっとやれるのではないかと思っていた。
研究からも離れて、深層強化学習が「大学の頃にやってたこと」になっていくことにちょっと衝撃を受けている。熱意を持ってやっていたと自分では思っていたものが、思い出になっていく。未来になれなかったあの夜に。
大げさに言えばそれは「科学への信仰を手放す」ことだと思っていて、そんなことをして生きていけるのか、いやそうしなければ生きていけないのか。
可能か不可能かという話をすれば計算資源を購入することだってできていたはずで、それをしなかったということはやはり熱意が足りなかったと表現するべきなのだろう。収まるべきところに収まったというだけと言ってしまえばそれまでさ。
小説
読んだ。なんかアンソロジーというには書いてるものとかテーマ性がバラバラでよくわからない感じではある。まぁなんかそれぞれの著者の名刺代わりという感じで見ればいいのかな。
作品としてはやっぱり城平京の『これは運命ではない』が一番好きだったな。けど! これは虚構推理を読んでいないと流石に人物設定がさっぱりなのでは!? まぁ講談社タイガから出る本ならそれで良いのか。
やっていることは虚構推理(「いつも」とルビを振る)と同じで、真実(といってもそれを本当に真実として捉える必然性もないんだけど)の上に理屈を重ねて解釈を揺さぶる話。こういう心理と偶然のトリックについてはもう信頼感があるね。やっぱり僕は物理トリックよりもこういう心理トリックの方が好きなので、城平京作品が好きなわけである。
どうでもいいけど20210115の日記で「最近の城平は運命よりも秩序の方がメインっぽい」みたいな記述をしたら即「運命」についての話が来てしまったな。うん、まぁ虚構推理もね、多分話が進んでクライマックスになるとそういう要素は出てくると思うところではある。岩永琴子がそういうふうに描かれているということは、多分そうなんじゃないか。知らんけど。
その他
コンテストはなんか上手くいく回だった。やめろ、希望を見せるな。