日記

日記です

20220730

 休日。午前中は起き上がれなかった。午後は眼鏡の再受け取りして、帰ったら汗かいたのでお風呂にゆっくり入って、あとはゲームとか。

プロセカ

 ミュージックカードを得るためにイベントストーリーをスキップで消化していくなど。でも『ボクのあしあと キミのゆくさき』は気になってちゃんと読んでしまった。

 一応各所でほのめかされてはいたけれど、ここが暁山瑞希の問題設定をちゃんとやりましたという回なんだな。ニーゴの中でも暁山瑞希だけはニーゴというサークルの存在自体に苦しめられる可能性があるという点がとても危うい。その危うさに惹かれてしまう。

 僕は嘘とか秘密の話にとても弱くて、とても前には『恋愛ラボ』というアニメでもそれが痛切に感じられて、いたく染み入ってしまったことがある。もううろ覚えだけど、別にそのアニメに出てくる嘘・秘密はそんな深刻ってものでもないといえばない気はするけど、1話から引っ張って最終話で明かすという重みには、やっぱり何も思わないわけにはいられなかった。

 落ち着いて見ると、やっぱりプロセカのイベントストーリー演出はそれほど好きじゃない。これだけ制限がある中、プロセカとしてやれるストーリーの描き方の幅で、暁山瑞希というキャラクターをどれだけ表現できるのかって、まぁそういう興味もあるね。


 ややハマり気配を感じるが、ここでプロセカにまた戻るとは思っていなかった。自分の興味はそうなるんだなぁ。

20220729

 普通に労。スプリント後半の金曜日ってなんかもうあまり働く気になれない。


 先週末に入手した眼鏡を、実はあまり使っていない。なんかちょっと見え方に違和感があったので、だんだん慣らすという感じで。


 やっぱり業務をしていて、商品開発のレベルだと人工知能だってまだまだこんなレベルなんだなという気にはなってしまう。このペースで10年後にどうにかなっているのか? いや先のことは考えてはいけないのだった……。


 特に書くこと思い浮かばず。なんかパーッといいこと起きないもんかな。

20220728

 出社の日。オフィスに人が多いと、ちょっと内緒っぽい話をするのもはばかられるので良いことなし。


 何も考えないためにはどうすれば良いか。ゲームをしましょう。

 最近またプロセカを少しだけ再開しつつある。ストーリーはブランク空きすぎているので多分追うことはないとして、普通にリズム・ゲームとしてね。

 以前とは違ってタブレットでやるようにしていて、スマートフォンの小さい画面でやるよりは体験が良いかもしれない。持っているタブレットにはイヤホンジャックが無いのでBluetoothの無線イヤホンしか使えないけど、タイミングを-11くらいにするとわりと普通にプレイできている。

 腕としては、まぁ明らかに下手になっている。とはいえ回復積みまくればマシュマリーのMasterまではなんとかボロボロになりながらクリアできる程度ではあったので、楽しむことはできそう。

 いろいろ曲が追加されており、ミュージックカードを使い果たしてもまだ48曲買えてないとかそんなレベルだったと思う。有名だけど自分は知らない曲を、なんか精神的な問題でプレイしづらい。そういう性格直ると良いが。

20220727

 普通に労働。いろいろ上司と話したけれど、組織的な問題で自分が「こうすればいいのに」というものがなかなかやれないということは理解できてきた。自分の影響力に比べて組織が大きすぎる。組織全体の最適行動というものは無視して自分の身の回りだけのことに考えを閉じてやっていくことにするか、もっと小さい組織に移動するか、できることはその二択なんだろうな。

読書

 だいぶ野心的に方針を打ち立てていて、ともすれば大風呂敷を広げているだけという感もあるんだけど、まぁ認知科学という方向からロボット研究を解釈するとこうなるのが自然だとは思う。自分が直接的にこういう話に参画していきたいかというとまだ微妙なところがあるけど、それはそれとして頑張ってほしい。

 本題とはややズレるけど、認知的な閉じを前提にするならやっぱり単語トークンを直接入力している今の自然言語処理は受け入れられないよなぁとは思う。当たり前のように画像と音声のことしか考えていませんという感じなのは力強い。

その他

 自分のことだけ考えるとか、今のことだけ考えるとか、要するに世界を狭く取らないと複雑さに打ちのめされてしまう。正気を保つには現状それしかないように感じられる。

20220726

 普通に労働。特になし。


 やはり当面の目標は「考えすぎない」ことになるかなぁと考えていた。それはもちろん何かを諦めるということでもあるんだけど。

 古い日記を読み返していても、ずっと諦めることについて記述がある。もうしばらくはこの撤退戦を続けていくことになるのだろう。それでも昔に比べれば、諦める諦めたくないの振れ幅がだいぶ小さくなってきた方だとは思う。そのうちに揺れていることすら気づかないところで収束していくことを期待して。


 余暇の時間には何をしていてもいいらしいです。そうなんですか?

20220725

 精神がバイクに乗って爆走しガードレールに突っ込んだとしても、次の日は普通にやってくる。もちろんそんなことは起きていないので。

 ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂについて考えていた。主人公の語りがとても不思議な感触な味わいだった。教師から親身に説教されるシーンでもまるで響いていないし、そもそも物語開始時点で能登は過去になっているわけで、それなのに直接的にはそういう雰囲気が全然出てこない。あるはずなのに見えない奇妙さがずっと付き纏っていて、それが山本、渡辺といったキャラクターの複雑さを際立たせている。

 チェーンソー男を轢き倒すというのは、ものすごく平たく言ってしまえば「中二病の打倒」といった読みをどうしても生じさせてしまうと思う。やっぱり、それはまだ受け入れ難いな。とはいえ離れることによる忘却もまた良いとは思えない。


 業務中もだいぶ苦しかったな。全然前に進んでいる感じがしない。停滞、いやもうこの歳になってくると後退になっていく。

 なんかしんどいな。考え過ぎなのかな。

20220724

 休日。午前中は起き上がれなかった。午後は長めの散歩に出かけたり、小説読んだり、ゲームしたり。

小説

 今の自分の状況とかいろいろあってまた読み直したくなったんだけど、劇薬でもあった。二重にも三重にも苦しい。自分はチェーンソー男を上手く処理できていない、消化できていない。そうやってこの歳まで……。

 つまり自分は転校してしまった主人公なのだと思う。チェーンソー男に殺されるでもなく、上手く受け入れるでもなく、目を逸らしているうちに大事なものを破壊される。


 いろいろ考えていると、ふと劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトを思い出したりもした。要するに、

「現実・日常・平凡なる持続 vs 理想・舞台・煌めく一瞬」

みたいな構造があって、いやこの言語化では全然上手く表せていないんだけど、でもなにかこのような種類の強烈な怒りがあるわけだよ。みんな、本当にこんな人生を受け入れているのか? 自分は我慢ならない。いや実際は我慢できてしまっているんだけど、我慢できていてはならないと思っている。我慢できてしまっていることすら腹立たしい。


 心は決まっているはずなのに、人生全部これに賭けていいって思っているのに、どうして身体はこんなにも動かないのか。