普通の休日。午前中はゲームして、午後は寝ていた。やや頭痛はある。やっぱり眼鏡作り直さないとダメそうなんだけど外に出る元気が出ない……。
まじまじと歌詞を眺めてみると、抽象的な感じではあるが、出生にまつわる内容なのかなぁというのがぼんやりと読み取れるような。生と死あたりの話はTHE TESTAMENTとかも歌われているので、acor的には特別変なテーマでもないのだけれど、「生み落とされた」方というよりも、やや「産み落とす側」っぽい視点が見えているような気がする点は少し気にかかる。
はてなブログに投稿しました #はてなブログ
— LW (@lw_ru) 2021年9月5日
批評同人誌に寄稿する予定だった文章です
4万字くらい書きました
21/9/5 白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論 - LWのサイゼリヤhttps://t.co/oVJQAAc6n1
虚構世界の存在論的な話で面白かった。論理を突き詰めて変な結論に到達するのではなく、多少甘いところはあっても素朴な感性に寄り添って説得力を与えようとするような姿勢がどちらかと言えば好きなものになる。
内容としては、虚構存在は全体的に(論理学の意味での)不完全性を持った存在という路線で良い気はするんだけど、これもまたきっといろいろな問題が生じるのだとは思う。
記述説への批判部分、
「ソクラテス」と同一視されるはずの性質のリストとは異なるものを依然として「ソクラテス」と呼んでいる以上、「毒杯で死んだ」という性質は「ソクラテス」という固有名とは無関係だったと言わざるを得ない。
のところの主張はやや飛躍があるようには見えた。擁護しようと思えば、まぁ回避方法はあるのではないかという気がする。
後に
虚構作品における命題の真理値は、虚構作品が提示する世界の集合のうち、最も現実世界に近い世界における真理値と一致する
という性質へ言及するなら、記述説の擁護としても似たようなことが言えそうな気がする。わからないけど。
僕は自分の旧Twitterアカウントを消したことについて後悔しているが、一方で後悔というのもこれでまた得難い娯楽ではある。