日記

日記です

0930

 さんざんアニメは好きじゃないとか言っておいてあれだけど、今日はなんか唐突に氷菓が観たくなった。dアニメストアに登録しようかなと思ったけど、月末までで1か月計算とあってさすがに今日登録するのは馬鹿らしかったのでやめた。明日この気持ちが続いていればします。代わりにニコニコのプレミアムを解約した。まぁ最近は将棋放送しか観ないし、それなら将棋公式チャンネルを登録した方が直接そっちにお金が入っていいのかなーとかちょっと思ったり。

 物語を摂取したい気持ちが湧いてきた。良い傾向なんじゃないかなと思います。

 Twitter、もっと堅い使い方をしたいんだよな。10月はそういう感じを目指します。しかしそうすると本当にどうでもいいことを呟く場所が欲しくなる。まぁここなんですが。

 天候にビビッて今日も研究室に行かなかった。今週は3回くらいしか行ってないのでは? 研究モチベーションの低下が結構深刻かもしれない。

虚構世界の存在論

 p.49あたりから。基本的には本の内容の要約。[このかっこ内]は僕自身の感想。(しかし[]は()を繋げるとマークダウンにおけるリンクになるのでちょっと使い勝手が悪い)

 状況説は排中律が否定されてしまう。この問題をもっと精査すると実は虚構世界において「Faまたはnot Fa」は成り立つが「Faが真であるか、not Faが真であるかいずれかである」(二値性の法則)が成り立たないということになる(?) [どっちかであるとはいえるけど具体的にどっちかが正しいということは言えないということ、という意味はわかるけど……] (そもそも現実世界でも二値性の法則って成り立ってないんじゃねというのを反実在論というらしい)

 作者は別世界を覗き見て報告する存在ではなく、まさに世界を創造する。報告に過ぎないとしたら我々はそれを検証するステップを踏まなければならなくなる。剣と魔法のファンタジーに何かトリックがあるのではないかと精査しなければ不合理だ。[なるほどこれは確かにそうかもしれない。それに作者が報告員に過ぎないというのはちょっと寂しいようにも思える。やはり創造という行為は存在する気がする]

 創造だとすると作者が創造しなかった部分は端的に無であるので、具体的にどちらかということは認められない(二値性の法則の否定)。しかし排中律自体は認めてもよい(どちらかであるということは認められる)。しかしこれは言語説的な(小説は結局のところ単なる言葉なのであるという)作品観に行きつく[まぁそうかなぁ]。作者の行為は発見報告でもなく無からの創造でもないという立場がありえるはずだ。[なんか新説が出てきた]

 全てが創造だとすると、作中で矛盾する要素が描写されたらどうなるか。作品を命題リストとするとそこに矛盾があれば全ての出来事を含むということになる。作品とて不可侵なものではなく、明らかに作者のミスと思われる描写があればそれを除いて考えることは自然である。結局、他の描写と矛盾しない命題については創造的なものとみなし、矛盾があるような部分に関しては発見的なものとみなすのが良いのではないか。普通創造は上手くいき、部分的に存在するミスや不十分である点に関してはその虚構世界の仕組みに適合するような形で決定するのだ。[これはまぁ確かにという感じがする。○○説と○○説の二項対立的な構図に持ち込まれるとどちらかが正しそうと思ってしまうが、まぁ折衷は取るものだ]

 今日はあんまり読み進められなかった。

その他

 プログラミングをやっているモチベーションとして職に有利そうという思いはちょっとあるわけで、たとえば貯金が5兆円とかあって生活の心配が一切なかったとしたらプログラミング始めてなかったかもしれないなぁとは思う。そうしたらきっと哲学をやっていたんじゃないかな。いや、まずそこへ精神が向かわず遊んで暮らしているか。

 理系の選択したのは高校生の時に物理・化学の方が地理とか歴史より多少できたからという理由に過ぎないし、本当に下らない区分けだと思う。弊学の理系に哲学科があったらそれを選んでいたんじゃないかな。学部の講義で一番面白かったのは1年のときの分析哲学入門で、次は3年のときの科学哲学、あるいは脳科学とかを含めた言語哲学かな。うーん、今振り返ってみると情報工学科の講義でめちゃくちゃ面白いと思うものはあまりなかったなぁ。