日記

日記です

20210126

 相変わらず論文関連の作業はさっぱりやる気が起きない。就職活動も進歩なし。いつも通りの日。


 これの前後編を読んだ。僕はそこまで過激な唯我論者ではないつもりだけど、こういう話の流れで完全に納得できるかというとまたそうではない気もするな。でも、

私たちは、対象との空間的な位置関係、身体の状態、そして対象のあり方という因子の関数として、この世界を秩序立てている

という見方はある意味で客観主義的ではあるのだろうか。条件を揃えれば同じ現象が起こるだろうという主張は、「心」なるものを導入して自分が見る場合と他人が見る場合で異なると主張するよりも客観的だという感覚はある。

 まぁしかし、この考え方を認めたところで、僕のこれまで生きてきた時間で培ってきた文脈・物語はもう誰にも完全に同一な形では共有できないのだとは思う。孤独の寂しさを原理的に共有不可能な「心」に押し付けるか、原理的には共有できるけど実質的にはできていない物語に押し付けるか、正直言ってどっちだって大差はない。

 ニューラルネットワークが違う初期値からも学習によってほぼ同等の機能を実現することについて思いを馳せたりする。僕とあなたの違いなんてその程度のものでしかないと言われればそうなのかもしれない。

さびしいのは、これは他我問題に悩んだ私みたいな人間からすると、そこから抜け出せてよかったと思えるんですけど、野矢さんの本の結論はなんですかと聞かれて、他人の心はある程度は分かるけれども、完全には分からないんだよって答えると、それはそうでしょうねってなるんです。それを言うためにあれだけ書いたのっていう、悲しい話になるんですよ。最初にいたところから落っこちて、あがいて、元に戻って終わるということなんで、結局、落っこちた人にしか喜びが伝わらない。

 僕はやっぱり、根本的に落っこちた人間ではないんだ。