日記

日記です

20200507

 ミーティングなど。なんか怯んでいてやってない行動があったけど、そう言ってはいられないか。


 最近は枕元に紙とペンを置いておくようにしており、考えたこととか夢とかをメモできるようにしている。それによると今朝の夢には樋口円香が出てきていたようだ。これを書いているときには朧気にしか覚えていないが、虚構キャラクターが出てくるのだなぁと思った気はする。会話をしていたと思うのだけど、内容はメモが雑すぎてよくわからない。


 いつの間にか物語に対して期待することが「自分の内面を表現してくれること」になっている気がする。鏡としての虚構。これが感情移入ということなんだろうか。悪いことだとは思わないが、一方でかなり自分本意な読み方な気がしてしまう。

 対比的な心理として、二次創作界隈を見ているのがつらくなっているということに気づく。虚構キャラクターをあたかも(ある意味での)存在者として尊重するような姿勢に対して肯定的な感情が浮かばない。鏡の中の像が勝手に動き出したら不気味でしょう?

 自己への愛と他者への愛、みたいな違いに思える。今はもう死語と言えそうだけど、「俺の嫁」的な概念は特に強い他者への愛だ。関係性萌えとか百合とかそういう方向に行ったとしても他者への愛であることには変わりがないように見える。一方で自分の一部を投影する読み方の先にあるのは、ほとんど自己愛そのものではないか。

 まぁ実は全然的外れなことを考えているという感覚もある。自己愛だって他者への愛になるし、その逆もありそう。そもそも自他の区別ってそんなに明確だっけ。

僕は基本的に自分のことしか考えてないけど、そういう生き方があってもいいじゃんという形で他人を励ますことができたらなあ、と考えてはいる。多少。そのためにももっと楽しそうに生きたいし、ある程度の強さがほしい。じゃないと説得力がないから。

 好きな言葉だ。