日記

日記です

20200421

 昨日は上手く眠れなかったし、今日も全然集中できなかった。

シャニマス

 市川雛菜のサポートコミュを見てみたけど、樋口円香をガン煽りするキャラクターで笑った。一発目のコミュから「お前のことは好きではない」と暗に発する殴り返しの強さとは。別にこの人たち幼なじみだからといって仲良しというわけではなかったのか。(別に不必要に険悪という感じもしないけど)

 もう一回樋口円香をやって、また決勝で負け。決勝でVoが流行1位になったときへの回答を用意できていない。

 負けイベントは似合うが、ゲームシステム的には絶対的に差があるというわけではないから、それはそうなんだよなという気持ちになった。

 (画像は関係なくただ好きな腕組みシーン)

 シャニマスのゲームシステムとシナリオは噛み合いが良いのか悪いのか。周回はきつい。ジュエルを得るためにSSRのTrueを見ようとして失敗するのは虚無だな〜とは思う。あと結局SSRで話を進められても引けない場合があるので一番の盛り上がりが新キャラ投入時の通常シナリオを見たときかもしれないというのも欠点ではありそう。それらの欠点をゲームとしてプレイすることのナラティブ的体験が出てくる利点とで、どっちが上回っているんだろうな。

その他

 自分が何をしたいかということを考えていたんだけど、一番大事にしたい原理は「自分に似た人がちょっとでも生きやすく、不幸が少ないようになると良い」かなと思った。根源的には自分自身が幸福になりたいということだとは思うんだけど、僕はどうも具体物を相手にするのが苦手で、自分の幸福を直接追求するのは上手くできそうな気がしない。

 自分の身近にいるかもしれない自分に似た人に対して直接的に作用したいという気持ちは薄いのも同じ理由(具体性のつらさ)かな。どちらかというと一般的な環境に対して働きかけることで、一切接点もなく、一生顔も合わせることのない人に対して作用したい。

 その究極系はある意味で反出生主義なのかもしれないとは思うが、僕はまだ存在していない人についてはあまり思いやる気持ちは湧いてこないので、すでに生まれてきてしまった人についてなんとかその生が少しでも悪くないものであって欲しいと思うね。

 なんだろう、具体物に対しての作用だと、自分の行動が本当に相手のためになったのかが測れてしまいそうなことが恐ろしいのかもしれない。簡単に言えば失敗が怖い。環境に対しての作用なら、見ず知らずの人に対して「きっとこれでいくらか貢献できただろう」と思うことは、裏切られる可能性が相対的に低そうだ。実際の効用を測るのは難しいだろうから、自分でそう思い込めれば良いということになる。

 わからん。書いたそばから全部が嘘に見える。こんなこと本当に考えていたか? 勝手に文字列が現れているだけでは……。


 なんだかものすごく精神的にしんどい。何もやる気が起きない。いろいろ予定が詰まっているのに大丈夫だろうか。


 昨日ぐちゃぐちゃになって書きかけた残骸(削除済み)。どうすればいいかなんてさっぱりわからないね。

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 でも僕にはまだ逃げ道が残っているなということを確認して少し楽になった。僕もまた、深夜の海にダイブすることができるだろうか。