日記

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20190526

叫びと祈り (創元推理文庫)

叫びと祈り (創元推理文庫)

 こじらせオタクが好きそうなタイトルで、中身も結構面白かった。ただ、あれ的な仕掛けを入れてる話は僕としてはちょっと不満が残るところもあって、ワイダニット的な要素がある「叫び」とかが良かったかな。ちょっと読み方が雑になってしまったところもあるのでもう一度くらいはいずれ読み直したい。しかし異文化ね。僕もなかなか閉じこもるタイプだし考え方が凝り固まってしまう方だとは自覚しているけど、どっちに転んでもなかなか大変ではあるだろうなぁ。

土日の過ごし方

 この土日は両日とも研究室に行ったんだけどさっぱり課題は進まなかった。土日は完全に休みにするべきなのかずっと悩んでいる。漫然とした不安だけがあり研究室には行くが、結局何もせず本を読んでいるだけということが多すぎる。しかし金曜日には「土日でやればいいか」みたいな考えでサボっているのでどんどん作業が後ろ送りになっているだけ。

 なんで課題に対する不安感がこんなに強いんだろうか。終わらないんじゃないかという不安。終わらなかったらどうなるというんだ? 具体的に単位が得られないというよりも、自分が自分に失望していくことの怖さが強いんじゃないかとも思う。高校生までの頃は課題になんてやらなくても全然平気だったのに。自己肯定感が明確に低くなっている感覚はある。

 研究の方もいい加減に新しいテーマについて考えなければならない。しかし研究に対するモチベーションもかなり落ちている。ゴールデンウィークあたりから研究にならないようなコンピュータ将棋の実装しかしてない。研究で一番大事なのは問題意識だと思っていて、それが今全くわからない。

 自分がなにをしたいのかもわからなくなってきた。働くことは別に嫌ではないと思っていたけど単に現実感がなかっただけで、具体的に考えてみると嫌なのかもしれない。就職のことを考えると心が沈む。

 楽しいことがなんなのかわからなくなりつつある。楽しいことしているときってそんな楽しいって思うもんなのかな。いやそういう問題ではなくてできてない課題に対する不安感が強いから本読んでても楽しめてないだけかもしれない。

 課題を残したまま週末が来ると毎回精神が落ち込む。学習がない。なんとかしていきたい。

その他

 昨日

ヒエラルキー上位の快感というのはどうしてもあるもので、それをまるで無いかのように振る舞う手法を僕は知らない

と書いたけど、これはあまり良い表現ではなかったなと反省している。「無いかのように振る舞う手法を僕は知らない」わけではなくて、その性質を全く悪いものだと思っていないだけだ。細部を詰めることができない性格だとか、連載ものを上手く鑑賞できない性格は治したいけど、他人と勝ち負けを争うことが好きという性格を治したいとは全然思っていない。僕は本当に嫌いなものは一切無視する、「無いかのように振る舞う」ことを信条としているんだから、そうしていない時点で競争心が嫌いではないことは自明だ。

 ただ競争心が幸福に結びつきやすいかはまた別の問題で、第一に僕は真っ当な実力の上でも強くはないし、第二に社会性とかのような搦め手を使うのはもっと苦手なので、たいてい勝てないということになりがちだ。実力だけで評価されても総合力(?)で評価されても勝てない人間が競争心を持ち続けるのは懸命な選択ではないだろう。実力と競争心のバランスが問題であって、ちょうど釣り合いが取れれば良いのだが。自己肯定感が低いのだってそういう考え方をしてしまっているからじゃないのか。競争心を嫌っていないのが間違っていてもっと手放す努力をするべきなのかもしれない。