日記

日記です

20200723

 作業時間は、計測状は59分なんだけど、他学年のミーティングを聞きながらとかTwitter見ながらとか、集中力が低い状態でもできるリファクタリングを2時間30分くらいやったので、実働はもっと長い感じ。でも一応ちゃんと集中できた時間のみを記録するという方針なので公式記録としては59分で。

夢日記

 蜂に刺される夢を見た。『スパイラル〜推理の絆〜』のvs理緒編みたいな感じで自分が移動しなきゃいけないゲームの最中で、必要に迫られて移動していた先に蜂がいて右手中指あたりを刺された。蜂自体もvs香介編のイメージだろうし、なんなんだ。

コミュニケーション不全症候群

コミュニケーション不全症候群

 むかつくな。全然納得できなかった。僕にはそれほどその世界是正するべき状態だとは思っていないので。でもその状態をこそ筆者は「自覚なき症状」と言うんだろ? それはある種の無敵論法な気がする。価値概念自体が崩壊していると言いつつある種の価値観のもとで切っている。なにが「正当な大きさの場所」だ、その正当さを勝手に決めるな。

 やはり根本に人間礼賛的な価値観があるのだろうな。

だが私としては、それでもなお、まだ信じたいのである。人間、という種はまだ老境に入っているわけではない、ということを信じたいと思う

 たぶんここが致命的に合わない点で、ここが合わないとそこに乗っかってくる論が反転してしまう。部分的には同じような感覚を抱いていることはわかるが、根本が違う。それはダメだ。自然とそうなるものはそうなるのだ、それを悪いものだと言ってくれるな。

 でもこんなに不愉快な気持ちになるのはある意味ではこれが核心を突いているからかもしれないとは思う。もしかしたら読み直すこともあるかもね。

ゲーム

 Switchを買った。

 実際のところそこまでプレイしたいタイトルがあるのかと言われればそうでもないんだけど、なんとなくね。

 とりあえず今日はポケモン・シールドを始めた。現状、研究でやっているのが人工知能分野なのでそちらの発展に注目しているところはあるんだけど、もともと僕がIT技術進歩を実感した原体験っておそらくゲームではあるんだろう。小さい頃はゲームボーイカラーポケモン赤をやっていて、そこからアドバンスでの金銀、SPでのルビー、DSでのダイヤモンドなどといった発展はかなり記憶に残っているところではある。そういう思い出に浸りつつ……。

 3万円ちょいの本体を買って置物にしておくのはもったいないので他にもいくらかソフトを買いたいわけだけど、最近のソフトはそこそこ高かったりする。不当に高いとは全然思わないんだけど、二千円の本を買うのにもビビってしまう自分からすると結構な思い切りが必要ではある。お金払い癖をつけていきましょうね。

その他

 面接の結果通知来ないんだが、って思ったけど今日祝日なんか。え、つまり最短でも来週の月曜日? うーん……。

20200722

 午後からミーティングがあり、それのための準備で午前中はちょっとやったので作業時間は3時間6分。

科学

 昨日のGPT3とかもそうだけど、こういうのがどんなもんかわからん……。今後発展していったらマジでPythonC++へのコンパイル言語みたいになったりするんだろうか。

 科学技術(特にIT技術)の発展が自分を支える信仰になっていることは確かだが、結局それは僕に理解可能なものとして現れないんじゃないかという気が最近している。結局一部の会社が圧倒的人材及び計算資源に任せてぶん殴るという形で達成されてしまうのか? それはなんというか、"科学的"な在り方ではないよなぁ。

 やっぱりどこか疎外感はある。それはもちろんある意味では僕の努力不足が原因なんだけど。でも自由意志を認めない立場としてはこれはただの必然であって……。

 いずれにせよ、ただ生きているだけで肯定感を得るには信仰を失わない必要がある。そのためにはきっと見る範囲を制限するということが有効になり得るんだろう。余計なものは見ない。信仰は外部からの乱入者によって危機に晒される。不要な疑問によって解体される。世界を小さく保つことが信仰を維持するコツに思われる。

その他

 面接の結果通知来ないんだが。

20200721

 あまり集中力が出なくて今日は1時間28分の作業で終わり。ずっとTwitter見てたらなんだかちょっとまた目眩感もあってつらかった。

英語読めないなぁという気持ち

 たとえば「いいね」がたくさん付いている英語のツイートを見かけたとき、そのツイートの文章に知らない単語はない(少なくとも見たこともないような難しい単語が使われているわけではない)のだけど、全体としてのニュアンスがわからず、人々が皮肉として捉えているのか本当にこの文章をその通りだと思っているのかがさっぱり把握できないことがある。

 昨今のTwitterでは「日本語を読めない日本人が多い」と言われることが多い気がするが、僕の英語の読めなさから類推してこういう気持ちなのかなと思うとなんだかすごくげんなりしてしまった。この文章理解度で生きている人がいるとするとそれはとてもしんどいことに思える。単語を拾い読みしかできない、文脈が見えない、それが母語で起きた場合にどういうことになるのか。

 いや、こんなことに気づくこと自体が「今更そんなことを言うのか」という話ではあるんだけどね。根本的に外国語を学ぶ意義の一つにこういう無知さに気づくことがあるとは思っていて、中学生の頃から英語を学んでいて今気づくんかいとは僕でも思うが、今日たまたまTwitterを見ていてそういう気分になったので。

 やや話題は変わるけど、僕が英語に安心感を覚える日は来ない気がする。字面を解釈することがどれだけ上手くできるようになっても、なにか背後に特別な意味・文脈が隠されているんじゃないかという気持ちが拭えなさそう。それは本質的には日本語でも同じことかもしれないけど、やっぱり触れてきた時間が圧倒的に違うのは大きい。そういうことを考えると、母語が異なる人との相互理解というのも相当むつかしいように思われる。母語が同じでもわかりあえないというのに……。どうでもいいけどこの「母語」という言葉はポリコレ棒に殴られたりしないのだろうかと思って調べてみたらそういう話も普通にあるようだ(Wikipediaで勘弁)

シャニマス

 昨日の話題ではあるけど、シャニマスシナリオライターが一部公開されていた。

 僕は基本的にライターの公開を良いことだと思うんだけど、にしても1万RT,2万いいねは流石に話題になりすぎという感じもあって必ずしも良いことなのかはわからなくなってくる。いろいろあってこの界隈めんどくせ〜〜という気持ちもなくはなく、ここしばらくはシャニマスから離れているしな……。

 今後も名前出せない仕事が多いってのもどうなんかなぁとは思う。僕はなんだかんだ結構小説とかは名前買いするところがあるので。たとえば城平京スマホゲームのシナリオ担当になるとかなったら絶対そのゲームやるもんね。そういうのができないっていうのは、まぁ部分的には不幸で、それと公開で生じる騒動とどっちが大きいかという話だとは思う。民度

その他

 ややうさんくさめな気がするし、これがすごいのかすごくないのかよくわからないけど、とりあえずある程度長生きしておきたいという気持ちにはなる。そうなるとやっぱり労働しなければ生きていけないのおかしいよなぁ! と思って生活保護の仕組みを調べたりした。しかしまぁ、うーん。

 漫然とした憂鬱感は続く。

20200720

 今日の作業時間は1時間57分。ちょっと人とネゴる時間が多くてあまり作業に集中できなかった。


 B4の人が外部の院に行きたいみたいな話で、僕が知っている人に話を繋ぐと積極的に言ってしまった。そういうの得意じゃないはずなのになんでそういうことをしだすんだ? という気持ちになる。

 これを言うのは少し恥ずかしいんだけど、やっぱり他人のために行動する方が僕は上手く振る舞える気がする。自分の幸福最大化は上手くできないけど、他人が困っているところは助けたくなるような。外部から目標が与えられれば行動できるという意味で、これは主体性のなさと一致しているし、そう考えるとそんな変なことではないのかもしれないが。

 一つには自分が嫌いだから自分を救うことに積極的になれないというところはありそう。だから他人も、身近になって嫌なところを知ってしまうとダメなのかもしれない。遠い他人、顔を見たこともないような人に優しい存在でありたい。しかし完全に利他的に生きれるかというとそんなこともないので、どうしても中途半端にはなるんだけどね。

漫画

子供はわかってあげない(下) (モーニング KC)

子供はわかってあげない(下) (モーニング KC)

  • 作者:田島 列島
  • 発売日: 2014/09/22
  • メディア: コミック

 田島列島の昨日のあれが良かったのでこちらも再読。こうしてみると家庭環境が普通じゃないのに暗くないキャラクターが好きなんだな。それなのに継承が重要なテーマになっている辺りが面白い。遺伝的家族は壊れているのに文化的な継承はなされる。そういうのがまぁ好き。遺伝子よりもミーム。血の繋がりより思想の繋がり。

 最後は青春的甘酸っぱさに帰着させてオチをつけると。恋に限らず精神の暴れ馬をどうするかというのは本質的なテーマなんですよね。言葉か、そうか。

 この話が実写映画化されるらしく、実写になるとこのノリは厳しそう……。少なくとも僕は絶対観ないですね。

その他

 面接の結果だったり、アポイントメントの返答だったりを待っているような日だった。待つのは精神的に好ましい状態ではない。常にそわそわしてしまうし、作業効率が落ちる。自分は職の安定性がなくても平気な方だと思っていたけど、全然そんなことはなさそうだなぁ。

20200719

 今日も特にやる気が出ず、ずっとダラダラとしていた。

夢日記

 珍しくきっちり2度寝をして、夢を見たんだ。中学時代のサッカー部が僕以外のメンバーがそのままプロユースに所属することになる夢。僕には一切話が来てなかったのに突然皆揃っててとても良くない気分になった。そのサッカーチームのプレーを観た帰り道、地元の街を歩いている途中で向かい風が強すぎて前に進めなくなる。夢が精神状態を反映している説はあまり信用していないんだけど、そうはいってもなんか不吉というか、上手くいってなさを感じる内容ではあった。

 3度寝して、また夢を見た。具体的に誰だったかはわからないが仲の良い人たち(そんな人いるか?)と一緒に地元のよくわからないところで集まっていたら、皆気が狂って自殺やら他殺やらが起きた。辺り一面血の海になってほぼ全員死んだけど僕だけは生き残ってしまい、ちょっと外に出たら嫌に明るくてもう午前なんだなってことがわかって苦しかった。気分転換に海まで歩いていったけどとても人が多くて封鎖されていて、もとの異常空間に戻ったら別の人ばかりになっていて「皆で騙そうとしているの?(笑)」みたいなノリで話しかけられたのがきつかった。

読書

鉄の門 (創元推理文庫)

鉄の門 (創元推理文庫)

 翻訳もので文章が上手いと感じるとき、原作者と訳者のどちらの貢献が大きいのかはイマイチ判然としないところでもあるが、日常とそれが猜疑心に侵食される風景の描き方が華麗で面白かった。

 ニューロティック・スリラーを「"誰も信用できない""何を頼りにすればいいのか分からない"といった疑心暗鬼をメインにした物語(中略)しかも平穏で幸せな日常生活との対比としてその物語が展開されるような」として定義している解説も参考になった。

配信

 観た。面白かった。やっぱこれだけ口が回るのは一つの力だよな。

漫画

 ぐわー、ここで「次巻に続く」となるの罪深いぞー!

 田島列島の深刻だったり深刻じゃなかったりするこの妙なノリが結構好きだなぁと思う。小説に比べて漫画だとカッチリしたプロットとか考えの面白さよりも雰囲気とかノリを重視したくなる。絵を使うっていうのはそういうことなんじゃないかと思っている節がある。

その他

 この土日は漫然とした落ち込み方をしていたような気がする。明日からまた切り替えてやっていきましょう。

20200718

 あまり気力がなく、一日中基本的にベッド上で過ごしていた。

音楽

 『未来になれなかったあの夜に』は何度聴いても悲しい。

漫画

マクロすぎる視点は、あんまり人を幸せにはしないのかもしれない

 やっぱりそれはそうだなぁと思うんだけど、こうして他人から言われると、しかしできるだけマクロな視点を持つ人がいないとおそらく社会は上手く回らなそうではあるし、個々人ができる限りで目指していくべきなのかなという気もしてくる。

その他

 主体性という概念はやはり「個人」という分け方と関連している気がしていて、その単位まで分けたときに人はたいてい同じくらいの意思の程度を持つことを前提とした考えのように思える。僕はこの「個人」という分け方を支持したくないが、そう考えるのは「個人」が普遍的に持っているとされる人権概念と対立する部分があるので、ともすれば危険な思想に接近してしまう。「個人」が実態とは乖離した幻想だとしても、「個人」という幻想をみんなで信じることで全体の幸福量が上がるのだとしたら、自然さのみを持って「個人」概念を否定することはできない。

 あるいは主体性のなさは、無力感と関連しているとも感じられる。あまりにも広く、複雑な社会に対して、一個人というのはあまりにも小さな存在だ。たとえば今日はちょうど京都アニメーションで起きた事件から一年が経った日だった。

 あまりにも悲しいことだと思う。こういう事実を前に僕はどうやって主体性を維持すればいいのかがわからない。昨今の流行病だってそう。理不尽にやってくる大きな事象を前に、主体的な意思性なんてものを信じる気力が湧かない。

 大きなビジョンを放棄して、直接身に降り掛かってくる出来事へだけその場その場でなんとか対応していくだけの態度が批判されるのはわかる。そういう近視的な、場当たり的な、思考停止的最適化が、全体的にはより多くの不幸を生んでいる可能性は高いとも感じる。僕だってこれが根本的に"善い"状態であると思っているわけではない。つまりそれはある意味での実力・能力が足りていないということなんだろうね。

20200717

 午前中は面接。これは落ちたかもしれないなぁ。「新卒での就職という人生で一度きりしかないことへ真剣に取り組めない人間が仕事に真剣に取り組めるわけがない」理論が出てきてびっくりしてしまった。びっくりするとびっくりしたことを口に出してしまう人間なので「それは驚きの価値観ですね」と言ってしまったのだけど、こういうところだ。

 なんというか自分が意志薄弱な人間だということが強く意識された。自分の利益のために意思決定をして努力して物事に取り組むということができない。意思が外部から与えられたらやっていけるかもしれないという道はあるが……。

 あとは機転が利かなすぎる。口喧嘩では全然勝てないな。まぁこれは人と話さなすぎるので仕方のないところはあるか。

 主体性のなさ、当事者意識のなさ、そういうものだなぁ。僕が好きな娯楽、そういう煩わしさを忘れさせてくれるものなのかもしれない。だとしたら将棋も良いものだな。

 面接でつらくなってしまったので今日はなにもせずおしまい。ここのところ毎日数時間でも作業できていたの、精神が安定していたんだなぁと思った。