日記

日記です

20200718

 あまり気力がなく、一日中基本的にベッド上で過ごしていた。

音楽

 『未来になれなかったあの夜に』は何度聴いても悲しい。

漫画

マクロすぎる視点は、あんまり人を幸せにはしないのかもしれない

 やっぱりそれはそうだなぁと思うんだけど、こうして他人から言われると、しかしできるだけマクロな視点を持つ人がいないとおそらく社会は上手く回らなそうではあるし、個々人ができる限りで目指していくべきなのかなという気もしてくる。

その他

 主体性という概念はやはり「個人」という分け方と関連している気がしていて、その単位まで分けたときに人はたいてい同じくらいの意思の程度を持つことを前提とした考えのように思える。僕はこの「個人」という分け方を支持したくないが、そう考えるのは「個人」が普遍的に持っているとされる人権概念と対立する部分があるので、ともすれば危険な思想に接近してしまう。「個人」が実態とは乖離した幻想だとしても、「個人」という幻想をみんなで信じることで全体の幸福量が上がるのだとしたら、自然さのみを持って「個人」概念を否定することはできない。

 あるいは主体性のなさは、無力感と関連しているとも感じられる。あまりにも広く、複雑な社会に対して、一個人というのはあまりにも小さな存在だ。たとえば今日はちょうど京都アニメーションで起きた事件から一年が経った日だった。

 あまりにも悲しいことだと思う。こういう事実を前に僕はどうやって主体性を維持すればいいのかがわからない。昨今の流行病だってそう。理不尽にやってくる大きな事象を前に、主体的な意思性なんてものを信じる気力が湧かない。

 大きなビジョンを放棄して、直接身に降り掛かってくる出来事へだけその場その場でなんとか対応していくだけの態度が批判されるのはわかる。そういう近視的な、場当たり的な、思考停止的最適化が、全体的にはより多くの不幸を生んでいる可能性は高いとも感じる。僕だってこれが根本的に"善い"状態であると思っているわけではない。つまりそれはある意味での実力・能力が足りていないということなんだろうね。