昨日考えていたことの続きとして、僕は「この人に気に入られたい」という気持ち自体が嫌いなのだなと思った。そういう気持ちで自分が動いてしまうことが嫌だ。動機の不純さを認識すると行為を止めざるを得ない。そういうのの繰り返しの果てに今があったりする。他人がこういうこと言ってたら確実に「くだらないことを考えているんだな」って一蹴するだけだろうに、どうして自分のこととなるとこういう考え方になってしまうんだろう。それはいくらかつらいことだ。
作品とか過去の日記とかはそういう気持ちを持ちようがない(持ってもどうしようもない)から好きなんだろう。「「僕のことを認識していない」と僕が認識している人」に対しては余計に気を張ることがない。そういう関係が心地よい。
小説
- 作者: うえお久光,藤田香
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2006/09/01
- メディア: 文庫
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僕はうえお久光に「だいぶふざけている」という感じの印象を持っているけど、それの源泉がこれかもしれない。別にヴィークルエンドとか紫色のクオリアとかはそんなにふざけてるわけじゃないもんな。そしてこの作品、なーにがハードボイルドじゃなくてジャストボイルドだバカバカ面白くなりそうな設定を変な使い方しやがって探偵やるのかヒーローやるのかどっちかにしろよ話がふらついてるだろ文体ばかり変な硬い感じを出そうとしても読みづらいだけ続編考えていたのか知らないがこんなにたくさんのキャラクター扱いきれてないじゃんみたいな気持ちになるが、まぁ文句が出るくらいにはテーマの方向性自体は嫌いではないし、「ポジティブ!」とかハイタッチさせるの振り切れているなぁという感じがして1周半回って好きじゃない。そんな感じ。