日記

日記です

20210928

 自我、「わたし」の神秘性について。なんというか、部分的には惹かれるところもありつつも、でも否定したくなる気持ちもある。自分を条件の束として記述することは本当に不可能なのだろうか? 時空間における条件づけによって神秘は解消されそうな気もする。

 精神の入れ替わりネタって各種創作では定番のネタではあるけれど、精神のみが入れ替わるようなことが可能であるという考え方自体が、実は特殊な立場なのだという気もする。自分も含めて多くの人がそれを理解可能な表現として受け入れることができるというところに、「精神」という言葉の意味・性質が宿っているのだろう。人間がやりがちな人間のモデル化方法が関わっていそう。


 相変わらず成すべきことは不明。