日記

日記です

20210828

 休日。ずっとパソコンに向き合っていた。


 自動運転に命を預けられるかという話があがったりもするけれど、将棋界を見ていると、歴然とした性能差があることを目の当たりにすれば容易にAIを「最善」と思ったりするのではないかという印象もある。まぁこれは差が比べやすいゲーム分野だからだという理由はあるかもしれない。

 統計的に自動運転の方が事故が少ないという数値的な話では納得感というのは育たなそうという直感もあり、運転でも大々的なイベントを開催して人間と戦って性能を示すような儀式が必要なのではないか。別に僕はまぁ、人々が自動運転を信用できないというならそれで良いとは思うんだけどね。


 自分はかなり見た目に気を遣わない方だとは思うけど、そんな中にでも「流石にこれはまずいだろう」みたいに感じることはあって、それが自分ではちょっと嫌だったりする。"社会人として"という言葉が思い浮かんでしまうと反抗モードにしかならない。


 僕は『スパイラル 〜推理の絆〜』で育った人間なので、不信によって強さを担保しようと思っているところがある。なにかを信じれば手ひどく裏切られるという感覚がある。言い方を変えると、「これを信じている」と指し示せないようなものを信じることで裏切りを回避しているということかもしれない。

 それなのに、最近は人工知能分野のことを信じすぎている。だからきっと、自分の望みは叶わないのだろうな。