日記

日記です

20190923

 土曜日に夜ふかししてしまってから体調がすこぶる悪くなった。もう絶対にYouTubeを手放さないといけない。AtCoderの解説があるので決断しきれなかったが、今の様子ではそれが見られる以上のデメリットが大きい。

 理想の自分との戦いは、最善で引き分けであり、それ以外は全部負け。そして正しくあることは難しい。

 自己批判は気持ち良い。間違っている自分を責めるその瞬間は正しさを得ているような気持ちになれる。ある種の自傷行為と同じ気持ちよさがあるのではないかと勝手に思っている。でもそれは安易な快楽で、僕はそういったものを全て手放さないといけないのだ。

 安易な幸福、安易な快楽からは距離を取らなければならない。なぜか? それははっきりとは言葉にすることが難しいようなものだが、言うなればそれが僕の信仰する善性だからだ。もっと素朴な言葉で言えば、僕はプライドが高いので低俗な状態には我慢がならないということだ。

 敬虔な祈りとしての生活。平日は比較的上手くできるんだよな(今日は世間的には休日かもしれないが弊学は平日扱いの日程だった)。休日が怖い。

 9時に行って22時に帰宅。自制というものが全く効かない。自分が自分を制御しているという気持ちがさっぱり湧かない。嵐の中の小舟。

 この前スパイラルを読み直したときは、4巻あたりの結崎ひよのが浅月香介に語りかけるシーンに対して妙に心惹かれてしまった。暗闇の中の希望というテーマを浮き立たせるもの。

 そしてその後カノン・ヒルベルトへと繋がっていくのがやはり良い。最後、意地だけでカーニバルを継続する姿勢が、その終わり方が、本当に救いという感じだから。もちろん、それすら踏み台にしていくその後の展開もあっての評価ということにはなるんだろうけど。

 僕の中にも破滅願望じみたものはあって、揺れる小舟よ早く転覆してしまえと思わないわけがない。救いは実現しないまま、希望であり続けなければならない。そうして耐えているうちに、ぐるりと。

 朝書いた分と帰ってきてから書いた分でテンションが結構変わってしまったけど直す気力もなし。