新居になっても朝5時とか6時に目が覚めてしまうことは変わらない。慢性的な寝不足といった感じ。寝るのを早めるしかないのだろうか。
本
高橋昌一郎『知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性』
いくら「いまさら原著を読む必要ってそんなないよね」とはいっても、ここまでおかゆみたいに調理されたものはそれはそれでどうなんだみたいな気持ちもちょっとある。
つまり生活形式の一致が問われているらしい。自分の抱いている危機感が、つまり「車というボディで学習するだけで人間と生活形式が合わせられるのか?」 と表現できるのではないかと思えてきた。生活形式が一致しないと、その言語が我々にとって意味不明なものになって、それはきっといつまでも安心感を生むドライバーにならないだろうと思っている。もちろんそれ自体も批判の余地がある仮説には過ぎないが。
ロボットが人型である必要性とは人間と生活形式を合わせるためなのだ。人型でなければ絶対に不可能ということはない(たとえば上半身は人間っぽくて下半身だけ車輪とか、上半身でも腕が4本あるとかだと致命的な破綻はないだろう。つまりここには程度問題がある)。人型に近い方がハードルが低くなるとしたら、技術的な問題を除けば一番最初に"実用"に至るのは人型なのかもしれない。
その他
自分はこの面倒くさがりな正確でどれだけの損をしているんだろうなぁ。たぶん「損をしている」という言い方では表現できないほど、根本的に違ったものになっていたんじゃないか。もうそれは、自分には全然見えないものだ。