卒論は遅々として進まない。やる気がない。
自分の研究について自信が出てきたり失ったり、変動が激しい。やはりもう少し実験を重ねないといけないし、ちゃんと性能が出るということを確認しなければ。人々がstate of the artに拘る気持ちがわかる。
Batch Normの実装に少し悩み中。レイヤーとして実装されていないので統計量の確保とかを自分でやらなければならないようだ。上手い実装がわからない。なんかいろいろ調べていたらGroup Normalizationというやつが良さそうだった。とりあえず回したみた感じ結構良さそう? なんとかなるかもしれない。
その他
最近日記が適当になっている。過去の傾向から言っても、ある程度コンピュータ将棋を真面目にやっているときはそうなりがちらしい。本質的なことから目をそらしているだけに過ぎないという感覚があるが、一定期間目をそらすことができるならそれは良いことであり、たとえば死ぬまで目をそらすことができたらそれは勝ちである。
「自分が幸福になることよりも重要なことが存在して良い」という文章を受け入れるか。しかしそれは幸福基準のすり替えでしかないのでは? 「あなたの幸福が私の幸福」違う、そういう定義の話をしたいわけではないんだ。なにか「幸福」概念に対する一般性というものが混入している気がする。ヒューマノイドが「あなたの幸福が私の幸福」と言ったらあまり信用できない(それはそういう基準で作られているだけだな)と思うだろうけど、ここの幸福というのが二重の意味を持っているんじゃないか。一般的な意味での「幸福」の形と行動基準という意味での「幸福」。言葉の使い方がブレるのは良くないね。