日記

日記です

20191029

 昨日考えていたことの続きとして、僕は「この人に気に入られたい」という気持ち自体が嫌いなのだなと思った。そういう気持ちで自分が動いてしまうことが嫌だ。動機の不純さを認識すると行為を止めざるを得ない。そういうのの繰り返しの果てに今があったりする。他人がこういうこと言ってたら確実に「くだらないことを考えているんだな」って一蹴するだけだろうに、どうして自分のこととなるとこういう考え方になってしまうんだろう。それはいくらかつらいことだ。

 作品とか過去の日記とかはそういう気持ちを持ちようがない(持ってもどうしようもない)から好きなんだろう。「「僕のことを認識していない」と僕が認識している人」に対しては余計に気を張ることがない。そういう関係が心地よい。

小説

 僕はうえお久光に「だいぶふざけている」という感じの印象を持っているけど、それの源泉がこれかもしれない。別にヴィークルエンドとか紫色のクオリアとかはそんなにふざけてるわけじゃないもんな。そしてこの作品、なーにがハードボイルドじゃなくてジャストボイルドだバカバカ面白くなりそうな設定を変な使い方しやがって探偵やるのかヒーローやるのかどっちかにしろよ話がふらついてるだろ文体ばかり変な硬い感じを出そうとしても読みづらいだけ続編考えていたのか知らないがこんなにたくさんのキャラクター扱いきれてないじゃんみたいな気持ちになるが、まぁ文句が出るくらいにはテーマの方向性自体は嫌いではないし、「ポジティブ!」とかハイタッチさせるの振り切れているなぁという感じがして1周半回って好きじゃない。そんな感じ。

20191028

 他人の古い日記を読んだりしていた。古い日記を読むのは、自分のも、他人のも好きだ。それは現実から遠ざかったところにある。普段この日記に日常のことを書きすぎているのではないかと思うこともあるが、時間が現実性を奪い去ってくれる。

 僕が日記を書いて公開しているということは、僕に似た人間もきっと同じことをするのだろう。僕らの適切な距離感とはそういうもので、大部分は本当に一切読まれることなく、ほんの一部だけがたまたま読まれたり、全く読まれなかったりする。顔も合わさず、一生存在を認識することもないが、僕と似たようにほどほど幸福で、ほどほど苦しみ、ほどほど虚無感を抱える人がこの世には生きていて、あるいは死んだりしている。そういうことを夢想する。

 それが重大な希望になるわけではないが、痩せ我慢を少し続ける理由にはなるかもしれない。別にそれはやめたって良いものなんだけど。痩せ我慢することが良いことだなんてことはなくて、それは本当にただそうであるだけで、退場する人は退場していて、退場していない人が痩せ我慢しているとみなされるだけで。死が救いなのではなく、生が救いなのでもなく、幸福も不幸も意味なんてなくて、人が存在したり存在しなかったりする。

 本当の意味で親愛の情を抱けるのは、存在を認識していない相手にだけなのではないか。親愛なる存在を認識していない相手へ、僕は僕が一番欲しいものを送りたい。それは完全なる定常状態、世界の死に包まれた死なのである。

20191027

 まだ読むべき論文をリストアップしていく段階なんだけど、そのリストがどんどん膨れ上がっていく。しかしそれも既存の発表資料を辿っているだけなので、少なくともその資料の作成者はそのほとんどを知っているわけで、それは大変なことだ。世の中には大変熱心な人がおり、そういう人には到底及ばないなと強く感じる。最近やや血迷って「研究者的な生き方も選択肢として考えてみても良いのでは?」とか思っていたが、いやないな。完全にない。

小説

 さすがにロボットものを読んでいくというならこれを読んでいないのはおかしいだろうということで。きちんと考えられるべきことが考えられているという感じで面白かった。ロボット三原則なんてものを持ち出す時点で行動原理を利用した仕掛けなんてそりゃ当たり前に考えるよな。どの話もそれなりに良かったが、個人的には『うそつき』とかそういうのが結構好き。『迷子のロボット』とかも、あーそういうパターンがありえるのかと感心してしまう。僕は『逃避』の方がやっぱりすぐ浮かぶアイデアだと思うし、しかしこれの解決の仕方もまた上手いんだな。あとは最後の『災厄のとき』というのも、やはりそれが最終の姿として置かれるよなと。うん、素晴らしい作品だ。もっとこんな感じのミステリっぽさのあるSFが読みたいしそれは絶対存在しているはずだという確信がある。

 ところでロボット心理学者という立場、ニューラルネットワークのお気持ち判定士っぽいな? とか思ったりもした。自分のやっていることってやっぱり数理的な何かとは結構距離があるし、「こういう気持ちでこういう挙動が発生していそうだからこういう実験をしてみる」の繰り返しなんだよな。損失関数の与え方と表現ベクトルの様子から挙動をエスパーして謎の修正を加えるみたいな。

 えー、なんかいろいろ意味有りげに語られてたもの全部放り投げて終わったー!? すごい。こんな投げっぱなしがあるのか。入間人間よくわからんなぁ。

ゲーム

 最近こつこつまたプロスピをやっていて、やや難易度を下げて1年間やった。.465 77本 213打点とかそんな感じのアンタッチャブルレコードを打ち立てられたので満足。しかしそんな成績を残してもチームは最終戦勝てばリーグ優勝、負ければ2位という状況まで追い込まれ、負けた。ゲームですら緊張してしまうので本物のプロスポーツ選手は大変だなぁと思う。僕はそういう精神が本当に弱いので記録がかかったり重要な場面で打席が回ってくると厳しかった。まぁなんというか、ダメでも落ち込まない精神が重要そうだと思ったし、それは良い結果でもそこまで喜ばないこととセットなんだろうな。

 基本的にセーブ&リセットはしないようにしてたけど流石に最終戦負けてリーグ2位はアホらしすぎたのでリセットした。そこでリセットを我慢できるほどの強靭な心は持っていない。しかし一度リセットしてしまうともう二度と緊張感は戻ってこないもので、CSや日本シリーズはリセットなしで勝てたんだけど、それは「最悪リセットできる」という後ろ盾があって気楽にできたからこそという面もあるだろうし、そこに意味はないなぁと思った。現実のリセット不可能性みたいなの、あまり重要視してきたつもりはないんだけど本質的なものなのかな。

20191026

 朝から夕方すぎまで研究室に居ることは居たが、論文よりも小説を読んでいる時間の方が長かった。明日はタブレットを研究室に持ち込まないようにしよう。

ゲーム

 やったわけじゃなくて調べただけ。少し興味を惹かれたけどまぁ買うところまではいかなそうかな。こういうの見てすぐスタッフが誰か確認するの悪いところかもしれなくて、シナリオ瀬川コウかぁみたいな気分にはややなるよね。氏の小説何作か読んだとは思うけどあんまり自分に合っていた感覚がないからな。

 キャラクターデザインが妙に見覚えがある気がしたけどLAMって名前は記憶になかった。検索してみてパッと出てきたのは九条林檎で、それなりに納得感は合ったけどこれだけの印象とは思えなくて、Tumblrとかまで探してやっと『君待秋ラは透きとおる』の表紙だということがわかった。

君待秋ラは透きとおる

君待秋ラは透きとおる

 これだけでもない気もするので、なんか他にも目にしているかもしれないし、こういう作風が流行りあるいはジャンルとしてあるのかもしれない。よく知らないけど好み目の絵柄ではあるような。

漫画

初春が咲く (1) (まんがタイムKRコミックス)

初春が咲く (1) (まんがタイムKRコミックス)

 ときどきこういうの読みたくなるし、「こういうのが読みたい」という想定に近いものでとても良かった。「強い」「パワーがある」などの感想が出てくる。登場する中で某キャラみたいなの露骨に好きですよね。それはそう。

小説

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)

 結局"良い話"かぁみたいな気分にはなってしまうね。

夜行 (小学館文庫)

夜行 (小学館文庫)

 なんかわけわからん雰囲気小説っぽいものを読んだとき「ふーん」くらいの感想しか出てこないんですよね。文章を味わいながら読むということができなくて、それは良くないことだとは思いつつ改善することもできないまま。森見登美彦、そんなに相性が良い感じもしないな。

 んー、なんか設定が上手く活かされてるのかよくわからんぞと思ってたら「つづく」となってそれはまぁそうだろうなという感じ。特殊設定ミステリって何が可能で何は不可能なのかのラインを明示するところに気を使わなければいけないのでそこは面倒そうだとは思う。

 面白かった。仕掛けとテーマ性にきちんと関連があるので良い。しかし最後のところで危険人物がふっと湧き出たのがやや唐突ではあったか。あとテーマが「老い」と「使命感」で微妙にふらついているところもある? 話の構造上仕方ない部分もあるとは思うんだけど、解決に間を取ってしまっているので少し畳み掛ける感じには欠けているところも気になるっちゃ気になった。でも全体として面白かったのでよく知らないが賞を取ったりするのもまぁそうかなとは思った。

20191025

 期して臨んだ今日だったけど全然論文は読めなかった。思ったより時間がなかったというのが言い訳の一つ目で、午前中はB4の研究相談に乗っていたら終わっていたし、午後はミーティングとか講義とか大渡さんのアドバイスを反映する実装とかで気づいたら遅くになっていた。あとは昨日上手く眠れなくて日中にいくらか眠気が来てしまったというのが言い訳の二つ目で、夕食の後とか全く機能しなかった。いやー、土日でなんとかやっていくしかない。

 未だに論文を読む深さと速度の釣り合いが上手く取れない。根本的に英語が苦手だからじっくり読まないと何もわからなくなってしまうんだな。英語、本当に無理ですね。苦手である意識はずっとあったのに改善する機会を作れないままここまで来てしまった。


 モチベーション的にどこかで自然言語処理やらなきゃダメじゃね? という気がするんだが、強化学習との結びつけ方がわからんのだよな。別に強化学習と結びつけることは必須ではないけれど、「教師データたくさん食わせたらそれっぽい返答するようになりました」では個人的に満足感はないと思う。やっぱりなんとなく"自我"的なものを持ってほしくなる。自我というのもなんなのかはよくわからないが、今思いつく段階で言えば(1)記憶的な連続性と、(2)自他の区別がつくこと、の二つは少なくとも必要な気がする。ただなぁ、これらも実は幻想かもしれないという可能性は捨てきれないわけで、結局何をどう実装すれば満足するかの見通しが全く立たないから何もできていない。

 そういうことを学ぶ上で(物理的な)身体が必要だとはまだ思ってないけど、自由に動かせるものと動かせないものの区別こそが自他の区別であるとしたらなんらかの身体は必要なのかもしれない。それでもまずゲーム系のところから考えてみたいところではあって、一応

みたいなのはあるっぽいから、そういうのでなんかするという方向になるのかね。なんか雑に眺めた感じだと、思ったより環境は整備されているのかもしれないなと感じた。しかしFacebookのCraftAssistとMicrosoftのMalmoで二つ似たようなプロジェクトが立ってるの、悪い話の匂いがする。

 Malmoは方は2016年からあるって結構古いんだな。あんまり流行っている印象がないけど、やっぱり適切にタスクを設定して性能を定量化するのが難しいんだろうか。よく見るとなんやかんや制約は大きいのかなぁ。これを使って論文書こうっていうのは流石にめちゃくちゃしんどいことに思える。個人で遊ぶくらいがちょうど良さそう。これで何が実現できたら満足できるだろうか……。

20191024

 業務。やっぱり自分にはなかったアイデアを貰えるのですごくありがたいな。高い目標を掲げられたのでひえーという感じだがやれるだけはやってみたい。とりあえず明日からはサーベイをちゃんとやらなきゃな。僕はほんともっと論文を読む数を増やさないと話にならないぞ。

 「この先どうするの」と聞かれて「何も考えてません」と答える一幕があった。人生、なんか主体性を持たないままに流されていく感覚がある。このままで良いんだろうかという気持ちもややあるけど自分で道を切り開いていくようなことをする気概があるわけでもない。この先どうなるんだろうなぁ。よくわかりません。

 性格悪いことを言ってみると、主体性が育たなかったのは主体性がなくてもなんとかやっていけるからだろうな。自分にそんな才能があったとは思わないけど明らかに家庭環境とか養育環境は良かった方だと思われるので。適当にやっていてもこの生活になるならそれは適当にもなるだろう(本当か?)。

 努力・才能近辺の話題といえばこの前の王将リーグのインタビューで藤井七段が「自分は才能型か努力型か?」という問いに「環境型」と答えているのが面白かった。「うわーうまく躱したな」とも思ったし、同時に「いや、感覚としてはそうなるんだよな」という気持ちにも。この回答賢いよなぁ。僕、以前は自分のこと才能があるとか思ってた時期もあったんだけど、これ見てから自分のこと環境型と名乗るように(適当)。

小説

何度でも、紙飛行機がとどくまで

何度でも、紙飛行機がとどくまで

 まぁはっきり苦手な話だったんだけど、こういうの苦手なんだなぁと改めて考えると悲しくなるジャンルの。いやー、主人公を駆動させている動機が完全にわからん感覚でどうしようもないな。

 なんか根本的に"良い話"が苦手なのを飛び越えてハッピーエンド的なそれ自体を受け付けなくなってきていないかという疑いがある。「感傷マゾ」という言葉は素直に好きにはなれないんだけど、しかしそういうところは確実にあるだろうな。それもやはりある意味での主体性のなさに関連している気がしていて……。こういうやる気に溢れている主人公を見るとすごいなぁって思う。

 極端な書き方をすると、「自分が欲しいものを得るために行動すること」はなにか品のないことのように思われることがある。こう書くと合目的性の否定っぽいんだけど、目的一般というよりも私欲や幸福主義に対する嫌悪感ということなんだろうな。しかしその思想はあまり良いものだと思えてなくて、酸っぱい葡萄的なひがみの可能性が高そうだし理屈としても綺麗にまとまる気がしない。うーん……。

20191023

 9時過ぎに研究室着。午前中は昨日思いついた可視化とか追加実験をして発表資料作り。午後はミーティング。はっきりいってこの研究室でまともなアドバイスを貰えるとは思っていないので、明日出社したときに話す練習でしかない。その後は使われてないパソコンを復活させたり、ヒートマップを描画するためにseabornと闘ったりしているうちに時間が過ぎ21時ごろ帰宅。種々の実験結果を見ているうちに研究の方向性がちょっと筋悪だったかなぁという気持ちが少し湧いてきたが、明日話してみてどうかというところ。


 最近上手く眠れていなくていつも2時や3時頃に目が覚めてしまうんだけど、同じことを繰り返していると「この2時に目が覚めたというのは数日前の記憶で、実は今日はちゃんと眠れていたのでは?」とか混乱するようになってきた。これはもう記憶に頼っていてはいけないということでスマートフォンのアプリで睡眠を記録してみたところ、昨日はやっぱり3時に一度起きていた。

 睡眠の記録とか体調の記録とか、そういうものをもっと真剣に取っていくべきかなぁと少し思う。渡辺明が一日何回も体重計に乗るという話がかなり好きで、そういう管理意識に希望を見出したくなる。その意味でこの日記は一つの手段なんだけど、数値的に定量化はしづらいのでもっと機械的な測定を導入した方がいいのかもしれない。測定機器としてはスマートフォンが強いんだろうけど、壊れて古いやつに戻してから歩数を記録してくれてないとかそういう事情もあって、この型落ちのものではできないことも大きそう。お金は少し入るんだし買い換えるというのもなしではないだろうけど、うーん、貧乏性……。


 2年前の日記を読み返していた。少し多めに講義を取っていたので課題に苦しんでいる様子がある。情報工学科には無理やり編入させてもらったという意識が強かったので、情報工学科が開講する講義はできるだけ取っていた。振り返ってみて講義が特段優れているとは思わないけど、ある程度網羅的に学ぶ機会を作れたのは良かった気がする。

 コンピュータ将棋もかなり遠いところに来たなぁという感じ。2年前は2駒関係の学習ができなくて苦しんでいる。今はにゅ〜らるねっとわ〜くの気持ちを考えるみたいな方向に来ているわけでジャンルが違うから単純な比較もできないけど、コードの綺麗さとか実験に対する作法とか専門分野に対する問題意識とか、そういうところでいくらかの成長は感じる。日記の良い点だ、おそらく。