日記

日記です

20191024

 業務。やっぱり自分にはなかったアイデアを貰えるのですごくありがたいな。高い目標を掲げられたのでひえーという感じだがやれるだけはやってみたい。とりあえず明日からはサーベイをちゃんとやらなきゃな。僕はほんともっと論文を読む数を増やさないと話にならないぞ。

 「この先どうするの」と聞かれて「何も考えてません」と答える一幕があった。人生、なんか主体性を持たないままに流されていく感覚がある。このままで良いんだろうかという気持ちもややあるけど自分で道を切り開いていくようなことをする気概があるわけでもない。この先どうなるんだろうなぁ。よくわかりません。

 性格悪いことを言ってみると、主体性が育たなかったのは主体性がなくてもなんとかやっていけるからだろうな。自分にそんな才能があったとは思わないけど明らかに家庭環境とか養育環境は良かった方だと思われるので。適当にやっていてもこの生活になるならそれは適当にもなるだろう(本当か?)。

 努力・才能近辺の話題といえばこの前の王将リーグのインタビューで藤井七段が「自分は才能型か努力型か?」という問いに「環境型」と答えているのが面白かった。「うわーうまく躱したな」とも思ったし、同時に「いや、感覚としてはそうなるんだよな」という気持ちにも。この回答賢いよなぁ。僕、以前は自分のこと才能があるとか思ってた時期もあったんだけど、これ見てから自分のこと環境型と名乗るように(適当)。

小説

何度でも、紙飛行機がとどくまで

何度でも、紙飛行機がとどくまで

 まぁはっきり苦手な話だったんだけど、こういうの苦手なんだなぁと改めて考えると悲しくなるジャンルの。いやー、主人公を駆動させている動機が完全にわからん感覚でどうしようもないな。

 なんか根本的に"良い話"が苦手なのを飛び越えてハッピーエンド的なそれ自体を受け付けなくなってきていないかという疑いがある。「感傷マゾ」という言葉は素直に好きにはなれないんだけど、しかしそういうところは確実にあるだろうな。それもやはりある意味での主体性のなさに関連している気がしていて……。こういうやる気に溢れている主人公を見るとすごいなぁって思う。

 極端な書き方をすると、「自分が欲しいものを得るために行動すること」はなにか品のないことのように思われることがある。こう書くと合目的性の否定っぽいんだけど、目的一般というよりも私欲や幸福主義に対する嫌悪感ということなんだろうな。しかしその思想はあまり良いものだと思えてなくて、酸っぱい葡萄的なひがみの可能性が高そうだし理屈としても綺麗にまとまる気がしない。うーん……。